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金崎神社ではいただけません
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金崎神社のお参りの記録(1回目)
埼玉県上長瀞駅

投稿日:2023年04月09日(日)
参拝:2023年4月吉日
熊谷方面から国道140号線で親鼻橋手前を曲がる。
小さい時から、家族や親せきと車で出かけた時にはいつも通る道であった。

最近では、近くにある阿佐美冷蔵のかき氷が食べたい、やはり、金崎本店やねん。と、そっちばかりに心が行く。

中学、高校と自転車やバイクでよく通っていた道であるのに、すっぽりとここの鳥居の風景は頭から抜けていた。
やはり、ボケ封じの御守りが1つじゃ効かないんかー。と思うほどの物忘れの酷さでもあった。
と、自分をアホや、バカやと思っていたら、神社の説明の碑を観て納得した。
金崎神社は、元は奥にあり、昭和53年にここのバス路線も走る道路沿いに移したのだ。

皆野駅からあちこちと廻り、親鼻橋を超えたらすぐだ。
下には荒川と石畳が観える。テレビでも度々出て来る長瀞名物のライン下りの船乗り場が丁度そこにあるのだ。

自分のイメージしていた神社よりもずっと大きなものであった。
白い鳥居が精悍である。

金崎神社(かなさきじんじゃ)は 第10代 崇神天皇〈在位BC97~BC30年頃〉の勅命を賜り 初代国造として知知夫国に降ったとされる・知知夫彦命(ちちぶひこのみこと)・知知夫姫命(ちぢひめのみこと)を祀ります 以前の鎮座地は 国神方面を一望する社中山(シュチュウヤマ)でしたが 地滑り地帯にあり 社殿が老朽化したため これを奥社として 昭和53年(1978)八坂神社跡地〈現在地〉に新社殿を造営して 今に至ります。

知知夫彦命が 詔を畏み 国造として秩父に降ったのは 第10代崇神天皇の御代とされている
清き荒川と豊かな台地自然の美に恵まれた秩父が ここに拓かれ 産業文化の創造が始められた 秩父の基を礎かれた命の偉業は真に大である
盆地の東端眺望の地 字 国神に 本郡 著名の旧跡 国神塚があり 知知夫彦命 知知夫姫命の墳墓と伝えられ 近くに古き大銀杏が天高く聳え立っている
ここより東方 社中山には 古来 野栗三社権現が在ったが 明治維新の祭 村名を社号とした金崎神社に改称し 知知夫彦命 外19柱を祭神に 境内神社7社を祀った
神社所蔵の 鏡に安元2年 由工門とあり 刀には野栗三社 宝前 元久2年乙丑9月納主新右エ門の銘があることから 野栗三社は800年以上の古社であった事が解る
社中山が 地滑り地帯にあり 社殿が老朽化したので 之を奥社とし
八坂神社跡地に新社殿を造営し 新しく知知夫彦命 外23柱を奉斎する
神神は・知知夫彦命・知知夫姫命・野槌神・高龗神・応神天皇・素戔嗚尊・菅原道真・句句迺馳命・軻遇突智命・埴山姫命・金山彦命・罔象女神・磐裂神・経津主神・根裂神・大己貴命・少彦名神・神直日神・倉稲魂命・大山祇神・建御名方神・事代主命・別雷神・火産霊神・其の御神徳は広大であり祭礼に奉納する獅子舞も由緒あるものである
(神社説明)


ここから、長瀞の宝登山神社に歩いて行き、参拝したら「おうちに帰りたいよー」(松尾芭蕉と違い、根性なしです)と思っていたので。
長瀞方面に行く途中にある奥宮入口の写真しか撮っていない。
地滑り覚悟!ネタすべり覚悟!で登らないとならない山道らしいのだ。

いつかは登るであろう。

春山や 白き鳥居と 岩畳
金崎神社の鳥居
金崎神社(埼玉県)
金崎神社(埼玉県)
金崎神社(埼玉県)
金崎神社(埼玉県)
金崎神社(埼玉県)
金崎神社(埼玉県)
こちらの山を登って行くと奥宮になる。
金崎神社(埼玉県)
金崎神社(埼玉県)
金崎神社の周辺
長瀞ライン下りの船乗り場。上から撮影。

すてき

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