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皆野椋神社ではいただけません
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皆野椋神社のお参りの記録(1回目)
投稿日:2021年03月18日(木)
参拝:2021年3月吉日
椋神社(むく~)(皆野)は、埼玉県秩父郡皆野町皆野にある神社。旧社格は村社。平安中期927年の延喜式神名帳に「武蔵国秩父郡 椋神社」の論社5社の一つ。明治初期に5社で論争が起こり、知事の裁定により5社を合わせて式内社とした。
社伝によると、日本武尊が知知夫国巡見の折、当地で御矛を立て猿田彦命、大己貴命、八意思兼命を鎮祭したことを創祀としている。平安前期の881年、円福寺開いた源仁僧都が当社を崇敬し別当を務め、平安後期には地場豪族・秩父氏の畠山重能・重忠親子、戦国時代には鉢形北条氏の臣用土新左衛門、江戸時代には阿部豊後守、松平下総守が当社を崇敬した。明治の神仏分離令により、周辺の27社を合祀したが、そのうち蓑山に鎮座する蓑山神社を椋神社の奥宮として残し、椋神社はその里宮として地場の養蚕業守護・農業神として信仰を集めたとのこと。
当社は、秩父鉄道・皆野駅から南に600mの、荒川の河岸段丘上にある。そばの椋宮通り脇には、20mはありそうな巨大な赤い鳥居が立っていて、その奥50mに境内がある。境内はそこそこの広さがあるが建物・石碑等の構造物がみっちり建っている印象。大きな社務所があり、「御朱印は初穂料500円」との張り紙があったが、16時過ぎで無人で、御朱印は拝受できなかった(涙)。
参拝時は平日の午後で、自分以外に参拝者はいなかった。個人的な印象としては、延喜式内社「椋神社」の5つの論社の中では、もっとも氏子中のサポートが篤い感じがした。
社伝によると、日本武尊が知知夫国巡見の折、当地で御矛を立て猿田彦命、大己貴命、八意思兼命を鎮祭したことを創祀としている。平安前期の881年、円福寺開いた源仁僧都が当社を崇敬し別当を務め、平安後期には地場豪族・秩父氏の畠山重能・重忠親子、戦国時代には鉢形北条氏の臣用土新左衛門、江戸時代には阿部豊後守、松平下総守が当社を崇敬した。明治の神仏分離令により、周辺の27社を合祀したが、そのうち蓑山に鎮座する蓑山神社を椋神社の奥宮として残し、椋神社はその里宮として地場の養蚕業守護・農業神として信仰を集めたとのこと。
当社は、秩父鉄道・皆野駅から南に600mの、荒川の河岸段丘上にある。そばの椋宮通り脇には、20mはありそうな巨大な赤い鳥居が立っていて、その奥50mに境内がある。境内はそこそこの広さがあるが建物・石碑等の構造物がみっちり建っている印象。大きな社務所があり、「御朱印は初穂料500円」との張り紙があったが、16時過ぎで無人で、御朱印は拝受できなかった(涙)。
参拝時は平日の午後で、自分以外に参拝者はいなかった。個人的な印象としては、延喜式内社「椋神社」の5つの論社の中では、もっとも氏子中のサポートが篤い感じがした。
大通りから見た、巨大な<鳥居>。
境内入口に立つ<鳥居>。(そういえば、社号標がない...)
鳥居くぐってすぐ左手にある<手水舎>。躯体はコンクリ製で屋根が木製の、珍しいハイブリッド。
拝殿。
拝殿正面と扁額。
本殿。拝殿とのバランスは良好。
拝殿右脇にある<護国神社>。
境内右手にある<舞殿>。ここから社殿の周りを反時計回りに廻る。
護国神社の右手にある末社群。右から11個には社名が記載されているが、左の5個には記載がない。
本殿の裏にある摂末社群。右から順に<六社合祀社>、<四社合祀社>、<太宰府天満宮>、<正一位伏見稲荷大神>、<八坂大神>、<祖霊社>。
社殿左側にある<宝物庫>。
社殿全景。
入口の鳥居左脇にある<猿田彦大神>(左)と<石神様>(右)。
入口の鳥居右手にある<社務所>。御朱印はこちら。この日は御朱印を拝受できず...(涙)
最後にふたたび社殿全景。
すてき
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惣一郎1269投稿
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