みなのむくじんじゃ
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椋神社(むく~)(皆野)は、埼玉県秩父郡皆野町皆野にある神社。旧社格は村社。平安中期927年の延喜式神名帳に「武蔵国秩父郡 椋神社」の論社5社の一つ。明治初期に5社で論争が起こり、知事の裁定により5社を合わせて式内社とした。
社伝によると、日本武尊が知知夫国巡見の折、当地で御矛を立て猿田彦命、大己貴命、八意思兼命を鎮祭したことを創祀としている。平安前期の881年、円福寺開いた源仁僧都が当社を崇敬し別当を務め、平安後期には地場豪族・秩父氏の畠山重能・重忠親子、戦国時代には鉢形北条氏の臣用土新左衛門、江戸時代には阿部豊後守、松平下総守が当社を崇敬した。明治の神仏分離令により、周辺の27社を合祀したが、そのうち蓑山に鎮座する蓑山神社を椋神社の奥宮として残し、椋神社はその里宮として地場の養蚕業守護・農業神として信仰を集めたとのこと。
当社は、秩父鉄道・皆野駅から南に600mの、荒川の河岸段丘上にある。そばの椋宮通り脇には、20mはありそうな巨大な赤い鳥居が立っていて、その奥50mに境内がある。境内はそこそこの広さがあるが建物・石碑等の構造物がみっちり建っている印象。大きな社務所があり、「御朱印は初穂料500円」との張り紙があったが、16時過ぎで無人で、御朱印は拝受できなかった(涙)。
参拝時は平日の午後で、自分以外に参拝者はいなかった。個人的な印象としては、延喜式内社「椋神社」の5つの論社の中では、もっとも氏子中のサポートが篤い感じがした。
大通りから見た、巨大な<鳥居>。
境内入口に立つ<鳥居>。(そういえば、社号標がない...)
鳥居くぐってすぐ左手にある<手水舎>。躯体はコンクリ製で屋根が木製の、珍しいハイブリッド。
拝殿。
拝殿正面と扁額。
本殿。拝殿とのバランスは良好。
拝殿右脇にある<護国神社>。
境内右手にある<舞殿>。ここから社殿の周りを反時計回りに廻る。
護国神社の右手にある末社群。右から11個には社名が記載されているが、左の5個には記載がない。
本殿の裏にある摂末社群。右から順に<六社合祀社>、<四社合祀社>、<太宰府天満宮>、<正一位伏見稲荷大神>、<八坂大神>、<祖霊社>。
社殿左側にある<宝物庫>。
社殿全景。
入口の鳥居左脇にある<猿田彦大神>(左)と<石神様>(右)。
入口の鳥居右手にある<社務所>。御朱印はこちら。この日は御朱印を拝受できず...(涙)
最後にふたたび社殿全景。
皆野 椋神社 は延喜式により設置された式内社として、皆野町大浜に所在する。祭神は、猿田彦命、八意思兼命、大巳貴命の三柱である。蓑山中腹にある蓑神社を奥宮とし、県指定無形民俗文化財の獅子舞と町指定無形民俗文化財である神楽を伝承する。また町指定有形民俗文化財として桃山様式と伝えられる獅子頭を保存している。
また、皆野町出身の俳人 金子兜太 氏がかつて戦地へ赴き、そして無事に帰ってきたときに、 「生きて帰れたのは産土(うぶすな)の椋神社のおかげ」といった言葉を残している。 椋神社 には産土神(うぶすなのかみ)、すなわちその土地の守護神がいるとされ、命や身を守ってくれる「守護」の御利益があるとされてる。(皆野町観光案内より)
鎌倉殿の13人で登場した畠山重忠の出身が埼玉県で、椋神社が紹介されていた。
その椋神社は、龍勢まつりで有名な吉田町にあるものなのだ。
だが、秩父には幾つかの椋神社がある。
ここ、皆野の椋神社もその1つだ。
金子兜太先生も言われているが、地域の産土神を感じる神社であった。
皆野駅からは徒歩5分ほど。
私が学生時代によく利用した味噌屋さんの真ん前だ。
金子兜太先生の句碑
こちらは、美味しい味噌の山武。
金子兜太先生の句碑がある。
山武の工場長の自宅にある句碑にも案内してもらった。
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