御朱印・神社お寺の検索サイト楽しみ方
四天王寺聖徳太子1400年限定御朱印大バナー2024年6月
廣見寺ではいただけません
広告

廣見寺のお参りの記録(1回目)
埼玉県大野原駅

投稿日:2024年05月04日(土)
参拝:2024年5月吉日
私がこのお寺を知ったのは、3月に宿泊した秩父和銅温泉でのパンフレットによってだ。
願い石巡礼なるものがあり、その中の1つに広見寺があり、札所でもないから普通の檀家さんに収入を頼る一寺かな?と思っていたのだが、イヤイヤ申し訳ない。秩父の曹洞宗発祥の寺であり、寧ろ、現在札所となっている曹洞宗寺院は、こちらの末寺であるのだ。その時に行こうと思いつつも、あまりにも風が強く、2月よりも寒いよーー、彼岸過ぎてるやんかー!と文句を言いながら、そのまま西武線ですぐに帰宅してしまった。

七つの特色を持つ寺ということから、七色の名前を持つ寺「秩父虹寺」と称している。

想像を遥かに超える広さであった。駅の方(正確に言うと、札所19番の竜石寺さんを管理されている宗福寺から線路を越えて)から行ったので、多分、裏門になるのかもしれない。入ってすぐに山一面のお墓の数に圧倒された。それだけの歴史があるのだろう。さすが!禅寺!という庭園は見事なもので、砂を綺麗にならした人に感謝したい。

6世 天秀彭盛てんしゅうほうせい大和尚が、文禄2年(1593)遷化されると、彭盛ほうせいさまには得法の弟子がおらず、旧吉田町清泉寺4世 清翁全吉せいおうぜんきつ大和尚の法を嗣つぐ照月全達しょうげつぜんたつ大和尚が7世となり、廣見寺に入りました。以来約150年間清泉寺の配下におかれる事になりました。(ホームページより)
とあるのだが、この清泉寺。現在は私の同級生の弟が後を継いでいる。中学生の時に、私に「お前は本を読む力がある。もっと沢山読みなさない」と、図書館に行く楽しみを授けてくれたのが、国語教師であり当時の清泉寺の住職であった。そんな歴史があったのか。。。熱い、暑いで、あっという間に廻ってしまったのだが、次回は、曹洞宗寺院で得度した信仰心の篤い友人と行きたいと思う。

アヤメ咲く 秩父禅寺 しめやかに
廣見寺の御朱印
廣見寺(埼玉県)
廣見寺(埼玉県)
廣見寺(埼玉県)
廣見寺(埼玉県)
廣見寺(埼玉県)
見事なアヤメだ。
廣見寺(埼玉県)
廣見寺(埼玉県)
廣見寺(埼玉県)
廣見寺(埼玉県)
廣見寺(埼玉県)
廣見寺(埼玉県)
廣見寺(埼玉県)
廣見寺(埼玉県)
廣見寺(埼玉県)
廣見寺(埼玉県)
廣見寺(埼玉県)
廣見寺(埼玉県)
廣見寺(埼玉県)
廣見寺(埼玉県)
廣見寺(埼玉県)
廣見寺(埼玉県)
廣見寺(埼玉県)
廣見寺(埼玉県)
廣見寺(埼玉県)
廣見寺(埼玉県)

すてき

みんなのコメント0件)

ログインしてください

ログイン無料登録すると、投稿へコメントできます。

ホトカミ見ました! で広がるご縁

ホトカミを見てお参りされた際は、
もし話す機会があれば住職さんに、「ホトカミ見てお参りしました!」とお伝えください。
住職さんも、ホトカミを通じてお参りされる方がいるんだなぁと、ホトカミ無料公式登録して、情報を発信しようという気持ちになるかもしれませんし、
「ホトカミ見ました!」きっかけで豊かな会話が生まれたら、ホトカミ運営の私たちも嬉しいです。
廣見寺の投稿をもっと見る7件
コメント
お問い合わせ