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かがみじんじゃ

鏡神社の御由緒・歴史
公式佐賀県 虹ノ松原駅

ご祭神息長足姫命(神功皇后),藤原廣嗣朝臣,楊柳観音菩薩
創建時代仲哀天皇9年(西暦200年頃)
創始者息長足姫命(神功皇后)
ご由緒

鏡神社は鏡山の西側麓にあります。古来より松浦地方(現在の糸島~長崎)の総社として尊崇され、松浦三社の一位として歴代唐津藩主が第一に参拝する祈願所として定められていました。また、源氏物語に「松浦なる鏡の神」と詠われ、遥かなる時を越え今もなお、松浦地方の鎮守神と親しまれる神社です。御祭神は一の宮には息長足姫命(神功皇后さま)、二の宮には藤原廣嗣朝臣を主祭神として祭祀をいたしております。また楊柳観音菩薩(重文)を始め立神様やお地蔵様なども神道で祭祀を致しており、神仏習合の名残を今も受け継いでいる神社です。

歴史
歴史[編集] 社伝では、三韓征伐の際、神功皇后が鏡山山頂に戦勝を祈願して鏡を納めたが、その後この鏡が霊光を発したことから、それを聞いた神功皇后が自らの生霊を鏡に込めて祀ったのに始まると伝える。 また、三韓征伐の帰途、神功皇后は当地で陣痛に襲われたが、里人が差し出した湧き水を飲むと陣痛が治まり、宇美の地にて無事に応神天皇を産んだという。このことから安産の霊験もあるとされる。 藤原広嗣の乱により藤原広嗣が当地で処刑された10年後の天平勝宝2年(750年)、肥前国司に左遷された吉備真備により、広嗣を祀る二ノ宮が創建された。広嗣処刑の後、玄昉が筑紫に左遷されそこで歿したことから、これは広嗣の怨霊...Wikipediaで続きを読む
引用元情報鏡神社 (唐津市)」『ウィキペディア日本語版』。
この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E9%8F%A1%E7%A5%9E%E7%A4%BE%20%28%E5%94%90%E6%B4%A5%E5%B8%82%29&oldid=97565741

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