くしだぐう
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駐車場 | あり |
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白角折神社、高志神社と共に神埼市を代表する神社である「三所大明神」の一角とされている由緒正しい古社です。13代景行天皇さまがこの地に行幸した際、不幸が続き苦しめられていた住人たちを見兼ねて、当社を創建し神を祀り鎮めたとされています。
また、博多総鎮守である櫛田神社の元宮とされている神社の一つです。
《一の鳥居と社号碑》
かなり変わった書式の文字で扁額に書かれています。この字がそのまま御朱印に使われています。
《二の鳥居》
この地域で見られる肥前鳥居です。この柱の無骨さに対する笠木島木の貧弱さのアンバランスがいいですね。
《御神木》
「琴の楠」と呼ばれています。もうほぼ幹は真っ二つになっているのに今も葉は茂っています。ただやはり弱ってきているのか2年前に樹勢回復事業が行われたようです。
《厳島神社》
《随身門》
《手水舎》
水は流れています。
《拝殿》🙏
👁チェックポイント‼️
博多の櫛田神社は山笠やどんたくによって全国の神社の中でも屈指の有名社ではありますが、その元宮としては当社と三重県松阪の櫛田神社があります。
博多の櫛田神社の御祭神のうち、祇園大神(素戔嗚尊)さまは当社と共通し、櫛田大神(大幡主神)さまは大若子命さまとして松坂の櫛田神社と共通しています。そのためそれぞれが各々の神様の元宮ということで絶妙に矛盾が生じないようになっています。
《祇園社》
博多の櫛田神社で行われる山笠は祇園祭として行われるものなので、逆輸入したのかもしれませんね。
《大蛇の大甕》
この甕はその伝承から災難除けの御神徳を持ち、子供の頭髪を納める慣習があるといいます。これが「櫛」に由来するものなのでしょうか…
《稲荷神社たち》
いつもお世話になってお(🤛
【肥前國 古社巡り】
櫛田宮(くしだぐう)は、佐賀県神埼市神埼町神崎にある神社。旧社格は県社。祭神は櫛田三神(須佐之男命、櫛稲田姫命、日本武命)。なお、博多祇園山笠や博多おくんちなどの祭事で知られる櫛田神社は当社の分社。
社伝によると、4世紀前半に景行天皇が当地に巡行した際に、不幸が続き里人が苦しんでいると聞き、当社を建てて神を祀り鎮めたのが始まり。その後厄災がなくなったことから当地を「神幸(かむさき)」と称し、現地名の「神埼(かんざき)」となったと伝わる。鎌倉時代の元寇の際には、櫛田宮の霊験を福岡の櫛田神社に移して祈祷したところ、その霊験で元軍が撤退したと伝わる。長きにわたり神崎一帯の総鎮守として上下から崇敬され、江戸時代には長崎街道が整備され、当社を中心に神崎宿が形成された。
当社は、JR長崎本線・神崎駅の南西500mあまりの神埼市の中心地にある。境内北側を通る国道34号線の北側は神埼市役所がある。また、境内南側には長崎街道が通っており、古くから交通の要衝(宿場町の中心)であったことが伺える。境内は広いが、境内社、弁天池、古木、石碑などがたくさんあって見どころ満載。
今回は、佐賀県の旧県社、博多櫛田神社の勧請元神社ということで参拝することに。参拝時は休日の午後で、地元の人も観光がてら家族連れで見て廻っているようで、大勢の参拝者が訪れていた。
境内南端東側入口にある<一の鳥居>と<社号標>。鳥居の扁額は順徳天皇勅額(石製)で「櫛山櫛田宮」と彫られている。社号標は明治29年(1896年)のもので、「櫛田之宮」と彫られている。
ちょうどこの日は第137回かんざき櫛田の市「神幸節分祭」が開催されていて、<おかめの門>が設置されている。
参道進むとつづいて<二の鳥居>。典型的な「肥前鳥居」で県重文になっている。
参道左側の巨大な<琴の楠>。根元が持ち上がり空洞になっているが、上部の枝葉は生き生きとしている。
参道右側には大きな<琴の池>が広がり、その中央の小島には<弁財天社>がある。
参道進んで神橋(たいこ橋)を渡ると<神門>がある。
神門をくぐったところから<拝殿>全景。
参道左側の<手水舎>。銅板葺屋根の正統派。
拝殿前左側の<狛犬>。かなり新しいみたい。
拝殿前右側の<狛犬>。
<拝殿>正面。横に長く屋根が高い重厚感のある建物。
<拝殿>内部。江戸時代末期の「御神幸祭絵馬」(県重文)などが飾られている。
拝殿後ろの<本殿>。大きな拝殿と比べるとコンパクトかな。
手水舎の裏手にある<社務所>。御朱印はこちら。
社務所の右隣(北側)にある<櫛田宮・神社史料館 兼 みこし庫>。
史料館の北側にある<印鑰(いんやく)神社>。「財宝福徳の神」と書かれている。
印鑰神社の近くにある<稲荷神社>の鳥居。ここから社殿まで参道と鳥居が続く。
社殿近くにある<鳥居>。この先参道が二手に分かれ、別々の稲荷神社に辿り着く。
まずまっすぐ進むと、こちらは<櫛森稲荷社>。「商売の神」と書かれている。
鳥居をくぐって右手に曲がると<櫛丸稲荷社>。「食物の神」と書かれている。
本殿近くまで戻って裏参道脇にある<天満宮>。
天満宮近くにある<櫛山旧跡(酒カメ)>。
拝殿の南側に建つ<能舞台>。
能舞台の東方にある<相撲土俵>。
相撲土俵の北側に建つ<祇園社>。まだ建てて間もない感じ。
祇園社の左隣(西側)に建つ<庚申塚>。
最後に、境内東側から境内全景。広々としていて見どころ満載で、神社好きも普通の人もしっかり楽しめる。 (^▽^)/
名称 | 櫛田宮 |
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読み方 | くしだぐう |
参拝時間 | 参拝自由 |
参拝にかかる時間 | 約15分 |
参拝料 | なし |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
電話番号 | 0952-52-3016 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
ホームページ | http://www5b.biglobe.ne.jp/~kusidagu/ |
詳細情報
ご祭神 | 櫛稲田姫尊 素盞烏尊 日本武尊 |
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ご神体 | 不詳 |
創建時代 | 景行天皇十一年(81年) |
創始者 | 景行天皇 |
本殿 | 権現造 |
文化財 | 尾崎太神楽 佐賀県重要無形民俗文化財
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ご由緒 | 「神埼」発祥の地 景行天皇が今から1940余年前に櫛田宮を創祀されて以来、荒廃した地が神の幸をうける平和郷となり、神幸(かみさち・かむさき)と名付けられました。これが後に神埼(かんざき)となりました。〈肥前國風土記〉
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体験 | 祈祷おみくじお宮参り絵馬七五三御朱印お守り祭り伝説夏詣 |
Wikipediaからの引用
概要 | 櫛田宮(くしだぐう)は、佐賀県神埼市に所在する神社。旧社格は県社。博多の櫛田神社はこの分社。 |
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歴史 | 歴史[編集] 社伝によれば、景行天皇(在位は4世紀前半と推定される)が当地に巡幸した折に不幸が続き住人が苦しんでいると聞き、当社を建て神を祀り鎮めたのが発祥という[1]。 その後は災厄もなくなったことからこの地を「神幸(かむさき)」と称し現在の神埼(かんざき)の地名の起こりとなったと伝えられている[1]。 元寇の際には、櫛田宮の霊剣を福岡の櫛田神社に移して祈祷をし、その霊験で元軍は撤退したという話が伝わる[1]。なお、櫛田神社は櫛田宮からの分祀により創建されたものである。 神埼荘の鎮守として高志神社[注 1]および白角折神社とともに三所大明神、三社宮と称された[2]。現代の「みゆき大祭」...Wikipediaで続きを読む |
アクセス | アクセス[編集] JR長崎本線神埼駅下車、南西方向へ徒歩約10分。 |
引用元情報 | 「櫛田宮」『ウィキペディア日本語版』。 この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E6%AB%9B%E7%94%B0%E5%AE%AE&oldid=102135443 |
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