なんぴあんかんのんじ|臨済宗妙心寺派
楠妣庵観音寺大阪府 河内長野駅
午前9時〜午後5時(季節によって変動あり)
(河内西国観音20番)
楠木正行が1339年に崩御した後醍醐天皇を悼み、河内国石川郡甘南備にある峰條山の一角の地を浄め、後醍醐天皇の念持仏であった千手観音を安置した「峰條山観音殿」と称する一殿を建立したのが起源とされています。
1348年に正行とその弟正時が四條畷の戦いで討死にした後、二人の母で楠木正成正室の久子も、観音殿と同じ地に草庵を結び隠棲し、敗鏡尼と称して、念持仏の十一面観音を奉祀し、夫と息子、一族の菩提を弔いつつ、16年間の余生を過ごしたということです。
久子の入寂後、正行の弟楠木正儀は、観音堂改め観音寺とし、楠木一族の香華寺としたとされます。
静かな静かな境内です。
ここで菩提を弔ったと思うと、なんとも言えない気持ちになりました。
草庵はこじんまりしていて、ここで暮らすのもきっと不便だったことでしょう。
御朱印(河内西国観音20番)
山門
山門横の大楠公像
大楠公像について
手水
本堂
本堂について
石碑
草庵への石段
観音堂
観音堂について
楠公夫人御廟
楠公夫人御廟について
草庵
草庵について
石塔
楠公夫人使用井戸
楠木正成の妻で、正行(まさつら)の母である久子が、夫と息子の戦死後に出家して菩提を弔ったところです。久子は「敗鏡尼」を名乗り、楠妣庵(なんぴあん)を建てたといわれています。この地には正行が建てた観音殿もあり、弟・正儀が敗鏡尼の没後に「観音寺」と改めて、一族の菩提寺としました。その後、観音寺、楠妣庵ともに兵火によって焼失しましたが、大正6年(1917)に楠妣庵が再興し、次いで観音寺も再建されました。この地は敗鏡尼の故郷でもあり、境内にある石造りの五輪塔は、その墓とも伝えられています。
春の新緑、夏の蝉時雨......と、四季折々の趣が楽しめますが、ことに秋の紅葉は有名です。歴史ファンや楠木公を偲ぶ人々が多く訪れます。
名称 | 楠妣庵観音寺 |
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読み方 | なんぴあんかんのんじ |
参拝時間 | 午前9時〜午後5時(季節によって変動あり) |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
電話番号 | 0721-35-5161 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
河内西国霊場 第20番 | 御本尊:十一面観音 御詠歌: 甘南備の 光増す実の 観世音 萬世かけて 仰ぎ祀らむ |
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ご本尊 | 千手観音 |
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宗旨・宗派 | 臨済宗妙心寺派 |
ご由緒 | 楠木正成の妻で、正行(まさつら)の母である久子が、夫と息子の戦死後に出家して菩提を弔ったところです。久子は「敗鏡尼」を名乗り、楠妣庵(なんぴあん)を建てたといわれています。この地には正行が建てた観音殿もあり、弟・正儀が敗鏡尼の没後に「観音寺」と改めて、一族の菩提寺としました。その後、観音寺、楠妣庵ともに兵火によって焼失しましたが、大正6年(1917)に楠妣庵が再興し、次いで観音寺も再建されました。この地は敗鏡尼の故郷でもあり、境内にある石造りの五輪塔は、その墓とも伝えられています。
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体験 | 武将・サムライ札所・七福神巡り |
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