御朱印・神社お寺の検索サイト楽しみ方
【スペシャル御朱印検索】無料お試し有り
切り絵・一粒万倍日の御朱印や神さま・仏さま・宗派検索可能に
四天王寺聖徳太子1400年限定御朱印大バナー2025年2月四天王寺聖徳太子1400年限定御朱印大バナー2025年2月
狭間神社ではいただけません
広告
名称狭間神社
読み方はざまじんじゃ
御朱印なし

詳細情報

ご祭神牛頭天王
ご由緒

 この地には、平安時代末頃から牛頭天王を祭る牛頭天王社という大きな神社があり、池尻村(現在の池尻、東池尻、狭山の一部)の氏神様として信仰を集めて来た。神社名は、参道横の字名「狭間」をとり狭間神社と呼ばれている。
 江戸時代の神社は現在の参道下にあった鳥居をくぐり石段をのぼり詰めた所に4mもある大きな石の鳥居があり、右手に鐘楼があった。その奥には神宮寺としての金蔵寺はあり、その鐘の銘文には南北朝時代に兵火で焼失した事が書かれている。この鐘は、狭山池の番水時刻も知られていた。
 神社の広さは現在地より、南は狭山池北堤、池尻城跡まで、宮山と呼ばれる神社林が続いて、その山中に雨乞いの龍神社が北条氏朝により勧請されていた。(現在は狭山池の中で祀られている。)明治に入り、元年の神仏分離令で、廃仏毀釈が行われ、金蔵寺は廃寺になった。
 さらに、明治40年の一村一社令により狭山村(池尻村と半田村が合併)で、一社にすべく話し合いの結果、池尻村の牛頭天王社は半田村の狭山神社に合祀され、広大な神社林、建物、鳥居などほとんどが処分された。しかし、池尻村の人たちは、ご神体など重要なものを寺の床下に隠して守ったと言う逸話が残っている。
 その後、昭和16年に地元住民の神社復興の強い願いから狭山神社の遥拝所として復活を遂げ、現在の狭間神社に至ったのである。釣燈籠等は牛頭天王社の物を使用している。

「みんなでつくる御朱印・神社お寺の検索サイト」という性質上、掲載されている情報の正確性は保証されませんので、必ず事前にご確認の上ご利用ください。
神社寺院のホームページが無料でかんたんに作れる!

この神社の神主様へ

公式アカウント(無料)にご登録いただくと、

ご自身の神社の情報を編集することができます。

無料登録して、参拝者が必要な情報を直接伝えてみませんか?

詳しくはこちら

ホトカミのデータについて

ホトカミには、日本最大となる全国15万8千件の神社お寺の情報や、2万件以上の御朱印のオリジナルデータがあります。

ご利用になりたい法人様やメディア関係の方々は、こちらよりお気軽にご相談ください。

最新の限定御朱印情報が届く!
御朱印メルマガを受け取ろう

利用開始をもって利用規約プライバシーポリシー
同意したものとみなします。

※購読はいつでも解除できます。

This site is protected by reCAPTCHA and the Google
Privacy Policy andTerms of Service apply.

御朱印背景
行きたい
投稿する
お問い合わせ

ホトカミで困ったこと、不具合のご報告はこちらから

お問い合わせ