ひろかわでら|真言宗醍醐派|竜池山
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滋賀・大阪の寺院巡りの4ヶ寺目は、3ヶ寺目の河内長野市の北東の南河内郡河南町に在る竜池山 弘川寺です。「こうせんじ」と音読みするのかなと思ったら「ひろかわでら」と訓読みでした。
真言宗醍醐派 準別格本山で、本尊は薬師如来。
こちら所蔵の空寂上人坐像と弘法大師坐像は府指定文化財です。
僧侶・歌人の西行法師の終焉の地であり、境内に西行記念館があり、春と秋に開館しています。(春季は4/1~5/10、秋季は10/10~11/20 変更あり、要確認)
記念館の中に空寂上人坐像が安置してあります。弘法大師坐像は御影堂に安置してありますが非公開&公開予定無しとの事です。
こちらで今回の寺院巡りの最後となります。
ーーー後日アップします。
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弘川寺(ひろかわでら)は、大阪府南河内郡河南町弘川にある真言宗醍醐派の準別格本山の寺院。山号は竜池山。本尊は薬師如来。大阪府指定記念物(史跡)大阪みどりの百選に選定されている西行法師終焉の地である。
所在地
大阪府南河内郡河南町弘川43
山号
竜池山
宗派
真言宗醍醐派
寺格
準別格本山
本尊
薬師如来
創建年
伝・天智天皇4年(665年)
開山
伝・役小角
中興年
弘仁3年(812年)
中興
空海
札所等
西国薬師四十九霊場第13番
河内飛鳥古寺霊場第13番
役行者霊蹟札所
河内飛鳥七福神(大黒天)
文化財
正親町天皇宸翰古歌御懐紙(重要美術品)
木造空寂上人坐像、木造弘法大師坐像、木造扁額(府指定文化財)
弘川寺境内(府指定史跡)
天智天皇4年(665年)、役小角によって創建されたと伝えられ、天武天皇5年(676年)にはこの寺で祈雨法が修せられて天武天皇から山寺号が与えられたという。
平安時代の弘仁3年(812年)空海によって中興され、文治4年(1188年)には空寂が後鳥羽天皇の病気平癒を祈願し、天皇は回復した。その功によって奥の院として善成寺を建て寺号の勅額を賜わった。
翌、文治5年(1189年)には空寂を慕って西行法師がこの寺を訪れ、この地で没している。
寛正4年(1463年)、河内守護畠山政長が当寺に本陣を置いて畠山義就が立て籠もる嶽山城を攻めたところ(嶽山城の戦い)、逆に本陣である当寺を攻撃されて善成寺もろとも伽藍は焼失した。その後復興し、江戸時代に入り寛延年間(1747年 - 1750年)歌僧似雲がこの寺を訪れ、西行堂を建立している。
重要美術品
正親町天皇宸翰古歌御懐紙
大阪府指定有形文化財
木造空寂上人坐像
木造弘法大師坐像
木造扁額
弘川寺 絹本著色十王眷属亡魂集会図(絵画) - 大阪歴史博物館保管。2026年(令和8年)3月24日指定。
弘川寺 絹本著色聖徳太子像(絵画) - 大阪市立美術館保管。2026年(令和8年)3月24日指定。
大阪府指定史跡
弘川寺境内
大阪府指定天然記念物
弘川寺の海棠 - 樹齢350年。
歌人西行法師、終焉の寺
大阪と奈良にまたがる葛城山の麓、のどかな田園にかこまれて弘川寺がある。寺は天智四(六六五)年に、
役行者が開山。その後、天武天皇が行幸されて勅願寺となる。本堂には本尊の薬師如来坐像がまつられている。また、行基が修行、空海が嵯峨天皇の命で中興し、密教の霊場と定められた。
「願はくは花の下にて春死なむ そのきさらぎの望月のころ」。この歌を詠んだ歌人西行法師は、平安の末期、私淑した座主の空寂上人を訪ねて寺に来られ、文治六(一一九〇)年、七十三歳で入寂された。
その後、河内の国の守護畠山氏の政長と義就が河内の国の争奪戦を続け、この争いで弘川、善成の二カ寺が焼失したが、本尊の薬師如来はじめ弘法大師像、空寂上人像などは兵火を免れて今に至っている。
本堂横から裏山に登る道を行くと、西行坐像をまつる西行堂、さらに登ると西行墳の周辺には、千本余りの供花の桜が植えられている。近年は桜の名所としても知られ、訪れる人も多い。近くには江戸時代の歌僧で、西行堂を建て、境内に「花の庵」を建てて住み、生涯を西行の顕彰に尽くした似雲法師の似雲墳がある。
西行法師八百年遠忌の平成元(一九八九)年には、永くその遺徳を顕彰するために、西行記念館を開設。西行法師にかかわる寺宝や貴重な資料を多数展示している。文武両道に優れていたが、仏の道と歌の世界に生きたとされる西行に多様な角度からスポットを当てて、訪れる現代の人たちに伝えている。
本坊の庭園には樹齢約三百五十年の天然記念物、海棠があり、四月の中ごろには桜の花が散る風景に代わるようにして見ごろとなる。
住所
〒585-0022 大阪府南河内郡河南町弘川43
電話番号
0721-93-2814
拝観時間
本坊庭園・西行記念館 10:00~17:00
拝観料
本坊庭園・西行記念館共で大人500円、小人200円、団体割引は20人以上で大人400円、小人100円、西行記念館開館(春季3月下旬~5月中旬・秋季10月中旬~12月上旬)
主な年中行事
修正会 1月1日
涅槃会 旧暦2月15日
御影供 4月21日
施餓鬼会 8月15日
地蔵盆 8月23日
おすすめ撮影スポット
本坊庭園、境内、桜山


この日、最後にお参りさせて頂いたのは弘川寺様です。
弘川寺様は665年に役行者によって開かれた御寺様です。
しかし、1463年の嶽山城の戦いで後鳥羽天皇の病平癒の功として建てた奥之院「善成寺」と共に一度は焼け落ちています。
弘川寺様と言えば西行法師が没した御寺様として有名で、裏山には西行塚があります。
その西行法師を慕い、西行塚を見つけた似雲も西行塚の隣に葬られています。
雨の中で西行塚にお参りしたまでは良かったのですが、登って来た道を戻らず裏山の周回道を回ろうとして結構ひどい目に合いました…倒木で道が塞がれているのが1ヵ所や2ヵ所なんてレベルではなく…雨はキツくなってくるしで、一瞬こんな地元に近い場所で遭難してしまうかも?という考えが頭を過りました(T^T)
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西国薬師霊場巡りで参拝しました。下調べもせず、勢いで出かけた参拝でしたので、まさかの山寺とは思わず、素足にヒールでやらかしました。😣
桜🌸の名所で有名とか。また、西行法師終焉の地だそうですが知りませんでした。🫢
天智四(六六五)年に、役行者が開山。その後、天武天皇が行幸されて勅願寺となり、本堂には御本尊の薬師如来坐像がまつられています。また、行基が修行、空海が嵯峨天皇の命で中興し、密教の霊場と定められた、とあります。
また、江戸時代の歌僧で、西行堂を建て、境内に「花の庵」を建てて住み、生涯を西行の顕彰に尽くした似雲法師の似雲墳もあります。とりあえず本堂にお参りし、そちらまで登ってみる事に。🤗
すぐ裏手の上あたりかなと思いきや、けもの道で、割と雑草も生い茂り、素足が気になってドキドキしながらの探索。😖案の定、いました。😱例のニョロニョロです。🐍西行墳の辺りを子どもサイズのヘビが❗️よく見ると、柄模様があり、毒蛇⁉️って主人と大騒ぎしながら、調べてみると、アオダイショウの子どもは柄模様だそうです。😌また、勉強になりました。しかし、気をつけなければ。マムシもいますからね。
この辺りには新緑でいっぱいですが、供花として千本余りの桜🌸が植えられているので、桜の名所と呼ばれているそうです。それであんなに駐車場が広かったのかーと納得。桜の時期🌸に参拝したいと思います。
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(西国四十九薬師13番)
(役行者霊跡札所27番)
(河内飛鳥古寺13番)
(河内飛鳥七福神 大黒天)
葛城山の麓、のどかな田園にかこまれています。寺は665年に、役行者が開山。その後、天武天皇が行幸されて勅願寺となる。本堂には本尊の薬師如来坐像がまつられている。また、行基が修行、空海が嵯峨天皇の命で中興し、密教の霊場と定められた。
歌人西行法師は、平安の末期、私淑した座主の空寂上人を訪ねて寺に来られ、1190年に七十三歳で入寂します。
その後、河内国の守護畠山氏の政長と義就が河内の国の争奪戦を続け、この争いで伽藍は焼失したが、本尊の薬師如来はじめ弘法大師像、空寂上人像などは兵火を免れて今に至っています。
西行法師の墓所の裏山は一面の桜の樹があります。桜の時期にはさぞかし綺麗なのでしょう。
山間に展開する境内は、とても趣きがあり、ほっとする空間でした。

西行法師入寂の地、弘川寺です。
あべのハルカスから30分かけて電車に揺られて富田林、そこから2時間に一本のバスで30分揺られて河内バス停に着いたらもう目の前にあります。
願わくは 花の下にて春死なむ
その如月の 望月のころ
や
ほとけには 桜の花をたてまつれ
我が後の世を 人とぶらはば
などの歌が刻まれた石碑がお寺の横から行ける道の先にあり、とても趣の深い場所でした。
今回は3/1に訪問したので桜の季節には僅かに届きませんでしたが、それでも良い意味で観光地化されていないなかで桜の蕾が今か今かとさこうとしているあ風景を楽しむことができ、とても良かったです。
まあでもやはり桜の季節に訪れるのがベストでしょう。
派手さは無いですが、好きな人には好きな場所であるとは思うので気になった方は是非訪れてみてください。

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