さいりんじ|高野山真言宗
西琳寺のお参りの記録一覧
(聖徳太子霊跡4番札所)
(河内六観音)
(河内飛鳥古寺7番札所)
(河内飛鳥七福神 恵比寿)
住宅街の中、入り組んだところにあります。
7世紀前半に百済系渡来人の王仁博士の後裔である西文氏により創建されたとみられ、創建時は現在よりも一回り大きい寺域を有し、難波宮と飛鳥を結ぶ日本最古の街道である竹内街道に面していたということです。境内の庭に置かれた高さ2m近い塔礎石は重量は27tを超え、塔礎としては飛鳥時代最大のものなのだとか。
確かに礎石は巨大でした。
お盆にお参りしたので、法要最中でしたが、尼さんが丁寧に対応下さいました。
御朱印 聖徳太子霊跡4番
御朱印 河内飛鳥七福神 恵比寿
御朱印 河内飛鳥古寺7番
御朱印 河内六観音
山門
西琳寺の文化財について
五輪塔
五輪塔について
塔礎石
不動明王像
本堂
《聖徳太子ご霊跡巡り その4》
日本最古の官道とされる竹内街道に面していた西琳寺。
竹内街道とは大和国と河内国を結んだ古代の幹線道路です。一説には、聖徳太子が大陸へ派遣された遣隋使と一緒に帰国の際に同行してくる大陸からの使者が通るためには立派な道路が必要だと考えて整備したものとされ、当時からかなりの人々の往来があったと考えられています。現在、竹内街道は国道166号線となり、飛鳥時代から現在に至るまで利用され続けています。
そんな交通の要所にあった西琳寺ですが、安土桃山時代の兵火にて中世以前の堂塔ほぼ全てを喪失。境内の庭に置かれた塔礎石が当時の姿を偲ばせています。
その5へ
https://hotokami.jp/area/osaka/Hmatz/Hmatztk/Dzasa/9047/167575/
その3へ
https://hotokami.jp/area/osaka/Hmatz/Hmatztk/Dazaa/9161/166886/
《ご朱印》
第4番「河内史帰仏之寺」
《塔礎石》
高さ2m近い塔礎石。重量は27トンを超えるとされ、塔礎としては飛鳥時代最大のものといわれます。
聖徳太子を巡るシリーズ その5
近鉄線古市駅から徒歩10分。住宅地の中にある浄土宗寺院。
百済からの渡来系氏族西文(かわち)氏の阿志高が建立したと云われている。
往時には、難波宮と奈良の飛鳥を結ぶ竹内街道沿いまで伽藍を備えた大きな寺院であったらしい。
少し道が入り組んでいたので迷ってしまいました。
山門です。
塔心礎石。 飛鳥時代では最大の巨石です。
いただいた御朱印。
右側が聖徳太子遺跡の御朱印。
「河内史帰仏之寺」は、聖徳太子の勧説のより西文(かわち)氏に仏教を帰依したという寺伝に因むものだそうです。
大阪府のおすすめ2選🎌
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