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せんこうじ|高野山真言宗野中山

全興寺の御由緒・歴史
大阪府 平野(Osaka Metro)駅

ご本尊薬師如来
開山・開基聖徳太子
ご由緒

飛鳥時代、聖徳太子が当時野原だったこの地域に仏堂を建て、薬師如来像を安置したのが起源とされる。寺の名前の由来は不明であるが、この一帯が杭全荘と呼ばれた事から、「杭全を興す寺」から全興寺になったという説がある。薬師堂の建立後、周りに人が住み始め、町を形成していった。これが後の平野郷となる(「平野」という名前は平安初期、この地の領主だった坂上田村麻呂の子の坂上広野(坂上広野麿)の「ひろの」が転化して「ひらの」になったと言われている)。
中世には藤原氏の荘園となり、応仁の乱以降は戦乱に巻き込まれないようにと豪商らが環濠を築き上げ、堺と並ぶ環濠都市として栄えた。大坂冬の陣では徳川秀忠の軍勢が河内路より平野に入り、全興寺の隣にある野堂町会所を本陣にしたと伝えられている。大坂夏の陣により町は戦火に飲まれたが、すぐに再建。大阪大空襲の被害も逃れ、今日もこの一帯は江戸時代からの古い町並みが残っている。全興寺の本堂は天正4年(1576年)に建造され、大坂夏の陣で一部を焼失。1661年に再建されたもので、大阪府内でも有数の古い木造建築となっている。

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