たいしょうぐんはちだいりゅうおう
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楽しみ方大将軍八大龍王のお参りの記録(1回目)
投稿日:2026年02月06日(金) 01時52分48秒
参拝:2026年1月吉日
この日の最後にお参りに向かったのは住宅地に
ポツンと鎮座されていた大将軍八大龍王社様です。
御祭神は
大将軍(タイショウグン)
八大龍王(ハチダイリュウオウ)
をお祀りされていると思われます。
残念ながら創建年や御由緒は分かりませんでした。
ここからは推測になりますが岸和田藩の藩主である
岡部氏が深刻な旱魃の際に和泉葛城山頂の
八大竜王社へ代参を立てたり自ら祈願したという
記録が残っています。
山頂への道のりは険しいことから里宮として山頂の
八大龍王社から分霊したのでは?と考えられます。
そして大将軍は陰陽道において方位の吉凶を司る
八将神の一柱です。
強力な祟り神として非常に力が強い凶神とされ
大将軍が司る方位を犯して建築や移転などを
行うと激しい祟りがあると恐れられてきました。
方除けの信仰としては京都の大将軍八神社に
代表されるように この強い神を祀ることで逆に
「方位除け」や「厄除け」の守護を得ようとする
信仰があります。(御霊神社様も同じ考え方)
また創建されたと推測される江戸時代の中期には
陰陽道に基づく「方位除け」が大衆にも
浸透していました。
大将軍(陰陽道)という方位神と八大龍王(仏教)と
いう水神をあわせて祀る形式は修験道や神仏習合の
影響を強く受けたものと考えられます。
葛城山は葛城修験の聖地であるため山麓や城下町に
その流れを汲むお社様が作られたと考察しました。
大将軍八大龍王社様は岸和田城(海辺)の近くに
鎮座されていて城下の「方位の守り」と農耕や生活に
欠かせない「水の守り」または「水害からの守り」の
両方をカバーするために強力な二柱の神様を
合わせ祀ったのではないかと考えられます。
あくまで推測なので間違っていたらスミマセン(^-^;
ポツンと鎮座されていた大将軍八大龍王社様です。
御祭神は
大将軍(タイショウグン)
八大龍王(ハチダイリュウオウ)
をお祀りされていると思われます。
残念ながら創建年や御由緒は分かりませんでした。
ここからは推測になりますが岸和田藩の藩主である
岡部氏が深刻な旱魃の際に和泉葛城山頂の
八大竜王社へ代参を立てたり自ら祈願したという
記録が残っています。
山頂への道のりは険しいことから里宮として山頂の
八大龍王社から分霊したのでは?と考えられます。
そして大将軍は陰陽道において方位の吉凶を司る
八将神の一柱です。
強力な祟り神として非常に力が強い凶神とされ
大将軍が司る方位を犯して建築や移転などを
行うと激しい祟りがあると恐れられてきました。
方除けの信仰としては京都の大将軍八神社に
代表されるように この強い神を祀ることで逆に
「方位除け」や「厄除け」の守護を得ようとする
信仰があります。(御霊神社様も同じ考え方)
また創建されたと推測される江戸時代の中期には
陰陽道に基づく「方位除け」が大衆にも
浸透していました。
大将軍(陰陽道)という方位神と八大龍王(仏教)と
いう水神をあわせて祀る形式は修験道や神仏習合の
影響を強く受けたものと考えられます。
葛城山は葛城修験の聖地であるため山麓や城下町に
その流れを汲むお社様が作られたと考察しました。
大将軍八大龍王社様は岸和田城(海辺)の近くに
鎮座されていて城下の「方位の守り」と農耕や生活に
欠かせない「水の守り」または「水害からの守り」の
両方をカバーするために強力な二柱の神様を
合わせ祀ったのではないかと考えられます。
あくまで推測なので間違っていたらスミマセン(^-^;
すてき
投稿者のプロフィール

れん太郎1527投稿
元々は休日に景勝地へドライブが趣味で、神社仏閣もお参りするのが好きでした。 年齢を重ねて夫婦で何か形のあるものを残したいと考えていたところ、細君より御朱印集めを提案され令和六年三月より始めました...もっと読む
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