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2023年12月15日(金) 10時51分 bysoo_cyan
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寺伝では聖徳太子の開創といい、太子自ら観世音菩薩像を造り、堂宇を建て安置したことに始まる。 当時は観世音寺と称し、中世以降は隆盛を極めたが、1578年(天正6年)高槻城主・高山右近よりキリスト教への改宗を迫られ、これに応じなかったため、諸堂宇は焼き払われた。この時、本尊の観音像のみが難を逃れ、里人達が草庵に安置して、守ったと伝わる。 1661年(寛文元年)時の城主・永井直清が夢の中で、聖徳太子より現在の地に観音像を祭るように告げられた。直清の発心により、中国の高僧隠元の招聘知られる後水尾天皇の勅師龍渓が自ら開山となって再興した。 後、弟子の独量や櫟隠禅師が後を継ぎ、1673年(延宝元年)本堂や方丈を造立、今日の礎を築いた。
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寺伝では聖徳太子の開創といい、太子自ら観世音菩薩像を造り、堂宇を建て安置したことに始まる。 当時は観世音寺と称し、中世以降は隆盛を極めたが、1578年(天正6年)高槻城主・高山右近よりキリスト教への改宗を迫られ、これに応じなかったため、諸堂宇は焼き払われた。この時、本尊の観音像のみが難を逃れ、里人達が草庵に安置して、守ったと伝わる。 1661年(寛文元年)時の城主・永井直清が夢の中で、聖徳太子より現在の地に観音像を祭るように告げられた。直清の発心により、中国の高僧隠元の招聘知られる後水尾天皇の勅師龍渓が自ら開山となって再興した。 後、弟子の独量や櫟隠禅師が後を継ぎ、1673年(延宝元年)本堂や方丈を造立、今日の礎を築いた。
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十一面観音菩薩
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多臂観世音菩薩立像
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曇華山
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曇華山(どんげざん)
