すくくじんじゃ
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須久久神社のお参りの記録(1回目)
投稿日:2025年01月21日(火)
参拝:2025年1月吉日
摂津国島下郡の式内社「須久久神社 二座」の論社です。奈良時代に神祇官の長官にあたる神祇伯、太政官の右大臣を歴任していた大中臣清麻呂という方が、宮中に出仕するまで当地で住んでおり、その際に祖神を祀って創建されたと伝われます。同じく式内社の阿為神社が中臣鎌足さんによって創建されていることから、当地は中臣氏の居住地であったとされています。
《一の鳥居》
細い道路に立っています。
細い道路に立っています。
《二の鳥居と社号碑》
もう日が沈んでしまいました。
もう日が沈んでしまいました。
《手水舎》
蛇口式ですがスピンドルがないため使えません。洗ひつるここも…(略)
蛇口式ですがスピンドルがないため使えません。洗ひつるここも…(略)
《境内》
👁チェックポイント‼️
『延喜式』神名帳にて「二座」と書かれて通り、鎮座しているこの丘(かどうか分かりませんが)は須久久山と呼ばれ、当社はそちらに一座、もう一座が春日山に鎮座しており、この離れた2座を須久久神社として記載していると推察されています。そのもう一座が茨木市清水の春日神社とされています。
👁チェックポイント‼️
『延喜式』神名帳にて「二座」と書かれて通り、鎮座しているこの丘(かどうか分かりませんが)は須久久山と呼ばれ、当社はそちらに一座、もう一座が春日山に鎮座しており、この離れた2座を須久久神社として記載していると推察されています。そのもう一座が茨木市清水の春日神社とされています。
《拝殿》
創建者の大中臣清麻呂さんは中臣氏が政治を司る藤原氏と祭祀を司る大中臣氏に分かれた際の、大中臣氏の初代とされています。その子孫は後世にも神祇伯や神宮祭主を務めたりと奈良・平安時代の宮中祭祀に強い影響力を及ぼしていました。
創建者の大中臣清麻呂さんは中臣氏が政治を司る藤原氏と祭祀を司る大中臣氏に分かれた際の、大中臣氏の初代とされています。その子孫は後世にも神祇伯や神宮祭主を務めたりと奈良・平安時代の宮中祭祀に強い影響力を及ぼしていました。
《扁額》🙏
島下郡の式内社には当社以外にも「新屋坐天照御魂神社 三座」や「伊射奈岐神社 二座」など坐数まで記載された神社が複数あり、現在も同名社が同じ数あります。このように島下郡においては別の地にありながら同じ神社として神名帳に記載される傾向にあるようです。
島下郡の式内社には当社以外にも「新屋坐天照御魂神社 三座」や「伊射奈岐神社 二座」など坐数まで記載された神社が複数あり、現在も同名社が同じ数あります。このように島下郡においては別の地にありながら同じ神社として神名帳に記載される傾向にあるようです。
《おみくじ》
《社務所》
普段は無人のようです。
普段は無人のようです。
すてき
投稿者のプロフィール

神祇伯1525投稿
どうも、全国の古い神社に出没するお稲荷さんの下僕です。ブログで参拝した神社の感想上げてます(2/9更新)
御朱印も集めてますが写真は載せない主義なので、戴けたところは順次報告&更新します。
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