きしべじんじゃ
御朱印・神社お寺の検索サイト
楽しみ方吉志部神社のお参りの記録(1回目)
投稿日:2025年01月20日(月) 22時39分10秒
参拝:2025年1月吉日
明治時代まで「太神宮社」と呼称されており、第10代崇神天皇さまの御代の創建と伝えられている古社です。この時代には天照大神(八咫鏡)さまが宮中から豊鍬入姫命さまに託され外に出た時期であり、笠縫邑に遷座した時期に摂津に奉遷したとされています。そのため一説では元伊勢の一つと数える可能性もあるようです。

《鳥居と社号碑》
車で拝殿前まで上がることができます。
車で拝殿前まで上がることができます。

《表参道》

《随身門》

《手水舎》
水は流れています。洗ひつるここも…(略)
水は流れています。洗ひつるここも…(略)

《由緒書き》
本殿は安土桃山時代終盤からの再建で多くの装飾を伝えていましたが、2008年に放火により全焼してしまいました…犯人赦すまじ。バチ当たれぃ。
本殿は安土桃山時代終盤からの再建で多くの装飾を伝えていましたが、2008年に放火により全焼してしまいました…犯人赦すまじ。バチ当たれぃ。

《獅子狛犬像》

《拝殿》🙏
👁チェックポイント‼️
由緒書きには「大和の瑞籬より神を奉遷」とあり、これが崇神天皇さまの営んだ磯城瑞籬宮であるとされています。その時代に宮中には天照大神(八咫鏡)と日本大国魂神さまがいらっしゃり、祭神から見るに天照大神さまがこちらに遷座してきたとされます。なぜこの地に遷座してきたのかは分かっていないようですが、北東1kmの地に豊受大神さまが丹波から伊勢に移動するまでの道中に滞在した跡地として大神木神社があることから、天照大神さまに関連する地として信仰があったことが窺えます。
👁チェックポイント‼️
由緒書きには「大和の瑞籬より神を奉遷」とあり、これが崇神天皇さまの営んだ磯城瑞籬宮であるとされています。その時代に宮中には天照大神(八咫鏡)と日本大国魂神さまがいらっしゃり、祭神から見るに天照大神さまがこちらに遷座してきたとされます。なぜこの地に遷座してきたのかは分かっていないようですが、北東1kmの地に豊受大神さまが丹波から伊勢に移動するまでの道中に滞在した跡地として大神木神社があることから、天照大神さまに関連する地として信仰があったことが窺えます。

《吉志部瓦窯跡》
吹田34号須恵器窯跡と呼ばれて国の史跡に指定されています。
吹田34号須恵器窯跡と呼ばれて国の史跡に指定されています。

《合祀殿》
愛宕の神、大国主神、事比羅神、天水分神さまを祀ります。
愛宕の神、大国主神、事比羅神、天水分神さまを祀ります。

《本殿》
2011年に再建されましたが、中を見ることはできません。七間社流造と下関住吉神社や筥崎宮の九間社流造に次いでかなり大きい建築様式で建てられていたようです。
2011年に再建されましたが、中を見ることはできません。七間社流造と下関住吉神社や筥崎宮の九間社流造に次いでかなり大きい建築様式で建てられていたようです。
すてき
投稿者のプロフィール

神祇伯1693投稿
どうも、全国の古い神社に出没するお稲荷さんの下僕です。ブログで参拝した神社の感想上げてます(9/7更新) 御朱印も集めてますが写真は載せない主義なので、戴けたところは順次報告&更新します。もっと読む
ホトカミ見ました! で広がるご縁
ホトカミを見てお参りされた際は、もし話す機会があれば神主さんに、「ホトカミ見てお参りしました!」とお伝えください。
神主さんも、ホトカミを通じてお参りされる方がいるんだなぁと、ホトカミ無料公式登録して、情報を発信しようという気持ちになるかもしれませんし、
「ホトカミ見ました!」きっかけで豊かな会話が生まれたら、ホトカミ運営の私たちも嬉しいです。








