だいかいじんじゃ(すみよしたいしゃせっしゃ))
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楽しみ方大海神社(住吉大社摂社)のお参りの記録(1回目)
投稿日:2026年06月03日(水) 16時04分21秒
参拝:2026年5月吉日
時間が厳しくなってきたので住吉さんの北西から
西側の巡拝を断念し住吉さんに向かいました。
高校生だった時分に初詣に来てモミクチャになって
以来かと思います。
そんな状態でしたので御本殿を拝観出来る事もなく
(遠くからお賽銭を投げるのが精一杯)
境内の摂社や末社にお詣り出来るわけもなく(^-^;
腰を据えてのお詣りは今回が初めてです🔰
広い境内を時計回りにお詣りして回りました。
最初に向かったのは大海神社様です。
御祭神は
豊玉彦命(トヨタマヒコノミコト)
豊玉姫命(トヨタマヒメノミコト)
をお祀りされています。
大海神社様の創建は住吉大社様より前と言われて
います。
神功皇后が住吉大社様を建てる際に大海神社様の
初代神主であった田裳見宿禰に造営を命じました。
田裳見宿禰は自分の領地を提供して住吉大社様を
建て その一族である津守氏が代々の住吉大社様の
宮司を務めることになったそうです。
海の一族である津守氏の氏神である大海神社様は
住吉大社様と同じく大阪湾を見守る為に西を向いて
鎮座されています。
大海神社様は現在は住吉大社様の筆頭の摂社として
境内の北に鎮座されています。
古代の建築配置の考え方にでは「北」は最も位が高い
方角とされています。これは北極星を背にする座が
最も尊いとされるためです。
津守氏は住吉大社様に場所を譲りつつも自分達の
ルーツである大海神社様を「最も格式の高い北向き」に配置することで一族の誇りと独自の聖域を護ろうとしたと考えられています。
たくさんの参拝社で賑わっていた住吉大社様とは
違って参拝者はチラホラだったのですが とても
厳かで清冽な空気が充ちていたのが印象的でした。
西側の巡拝を断念し住吉さんに向かいました。
高校生だった時分に初詣に来てモミクチャになって
以来かと思います。
そんな状態でしたので御本殿を拝観出来る事もなく
(遠くからお賽銭を投げるのが精一杯)
境内の摂社や末社にお詣り出来るわけもなく(^-^;
腰を据えてのお詣りは今回が初めてです🔰
広い境内を時計回りにお詣りして回りました。
最初に向かったのは大海神社様です。
御祭神は
豊玉彦命(トヨタマヒコノミコト)
豊玉姫命(トヨタマヒメノミコト)
をお祀りされています。
大海神社様の創建は住吉大社様より前と言われて
います。
神功皇后が住吉大社様を建てる際に大海神社様の
初代神主であった田裳見宿禰に造営を命じました。
田裳見宿禰は自分の領地を提供して住吉大社様を
建て その一族である津守氏が代々の住吉大社様の
宮司を務めることになったそうです。
海の一族である津守氏の氏神である大海神社様は
住吉大社様と同じく大阪湾を見守る為に西を向いて
鎮座されています。
大海神社様は現在は住吉大社様の筆頭の摂社として
境内の北に鎮座されています。
古代の建築配置の考え方にでは「北」は最も位が高い
方角とされています。これは北極星を背にする座が
最も尊いとされるためです。
津守氏は住吉大社様に場所を譲りつつも自分達の
ルーツである大海神社様を「最も格式の高い北向き」に配置することで一族の誇りと独自の聖域を護ろうとしたと考えられています。
たくさんの参拝社で賑わっていた住吉大社様とは
違って参拝者はチラホラだったのですが とても
厳かで清冽な空気が充ちていたのが印象的でした。
すてき
投稿者のプロフィール
れん太郎1824投稿
元々は休日に景勝地へドライブが趣味で、神社仏閣もお参りするのが好きでした。 年齢を重ねて夫婦で何か形のあるものを残したいと考えていたところ、細君より御朱印集めを提案され令和六年三月より始めました...もっと読む
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