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いちうんじ|浄土宗金龍山(法性山・龍王山)

一運寺の御由緒・歴史
大阪府 神ノ木駅

ご本尊阿弥陀如来(木造坐像)
創建時代伝:推古天皇21年(613年)
開山・開基伝:聖徳太子(磯長山転法輪寺)
ご由緒

 およそ千三百九十年余り前に聖徳太子が夢の中で西の方角に地上からまばゆい一筋の光があり何事か?と驚いていると「住吉の地こそ実に過去七仏転法輪の処」という声を聞き夢から覚めた。太子は42歳のとき(616)この地に自らの厄除の意味も込めて七堂伽藍を建て転法輪寺と名付けた。それが当山の始まりである。その為、本堂には昔から聖徳太子像が大切に祀られており、厄除けの参拝に来られる人もおります。
 伝教大師最澄は弘仁年中、比叡山を降り住吉大社に参詣され説法された。折しも当時熱病が流行し、最澄は病魔を払うため当寺で阿弥陀仏の尊像を刻み、七日間法要を営まれた。すると忽ちにして疫病患者の容態は癒え、「住吉の地に再び病の侵すことなし」と言われました。以後このあ阿弥陀佛は無病息災の仏様として愛されており、また汗かき阿弥陀如来と呼ばれ天変地異が起るときは汗をかくと言われています。
 建永の法難(1207)で讃岐に流された法然上人は、赦免後勅命で箕面勝尾寺に入ることとなり、一路舟で箕面を目指されましたが途中嵐に遭われ泉州岸和田へ漂着、船は住吉の浜まで流されました。船の修理の間、法然上人は当山に長く逗留、御説法されました。
 また一運寺には赤穂義士四十七士の内、大石内蔵助と息子主税、寺坂吉右衛門三基の墓があります。この三基の墓はもとは当寺北西すぐの龍海寺にありましたが廃仏毀釈で廃寺になり、四十七士の墓も他の庭石、墓石とともに砕かれつつあった。それを知った時の住職が大石親子と寺坂吉右衛門の三基だけを引き取りました。
 宝徳2年(1450)良公が再建し中興開山となり、天正14年(1586)存牟ぞんむが再建したが、元和元年(1615)兵火で焼失、寛永8年(1631)龍哲が本堂を再建した。

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