ひめじまじんじゃ
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姫嶋神社ではいただけません
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姫嶋神社のお参りの記録(1回目)
投稿日:2024年11月01日(金)
参拝:2024年10月吉日
決断と行動の神様である阿迦留姫命をお祀りしている姫嶋神社に参拝。
こちらは「やりなおし神社」とも呼ばれています。
なぜ「やりなおし」なのかというと、御祭神の阿迦留姫命の御神徳は再起復活であることと、大阪大空襲で大部分を焼失し何もない状態から再出発したところから「やりなおし神社」といわれるようになったそうです。
鳥居をくぐり、左手にある手水舎の横に穴が開いた石碑が建っており、そのまわりにたくさんのホタテ貝がかけられた部分があります。
これは「はじまりの碑」というものだそうで、初代天皇である神武天皇の遥拝所となっています。
つまり「日本のはじまり」ということから「はじまりの碑」なのだそうです。
そして、ホタテ貝は絵馬として願い事を書き奉納するのですが、ホタテ貝は「新しいスタートも順風満帆に進むように」と願いが込められています。
そして「断ち玉」と呼ばれる赤い玉を社務所で受け取り、「はじまりの碑」に近付いて穴に通すのだそうです。
願い事を叶える為に断ち切らなければならないことを念じ、穴に通すことで封じ込めるということだそうです。
<御祭神>
阿迦留姫命 神功皇后 住吉大神
<御由緒>
明治5年、郷社に列せられる。 創建年代は不明であるが、境内には正保5年(1648年)からの石灯篭が10基あり、少なくとも江戸時代以前から御祭神として阿迦留姫命を祀っていたことが考えられる。
「古事記」には、阿迦留姫命が新羅の王子(天之日矛)の妻となるが、夫に耐えかね祖国に逃避行してきたとある。 応神天皇の御代、新羅の国から筑紫(九州地方)の比売島、さらに移って摂津の比売島(姫島)に留まったと伝えられている。
阿迦留姫命は夫と別れ、海を渡り、新たな地で再出発し、女性達に機織りや裁縫、焼き物や楽器などを教えたことから、多くの女性に親しまれ「決断と行動の神様」として信仰されてきた。
また、赤い玉が美しい女性に姿を変えたことから、美の神様ともいわれている。
こちらは「やりなおし神社」とも呼ばれています。
なぜ「やりなおし」なのかというと、御祭神の阿迦留姫命の御神徳は再起復活であることと、大阪大空襲で大部分を焼失し何もない状態から再出発したところから「やりなおし神社」といわれるようになったそうです。
鳥居をくぐり、左手にある手水舎の横に穴が開いた石碑が建っており、そのまわりにたくさんのホタテ貝がかけられた部分があります。
これは「はじまりの碑」というものだそうで、初代天皇である神武天皇の遥拝所となっています。
つまり「日本のはじまり」ということから「はじまりの碑」なのだそうです。
そして、ホタテ貝は絵馬として願い事を書き奉納するのですが、ホタテ貝は「新しいスタートも順風満帆に進むように」と願いが込められています。
そして「断ち玉」と呼ばれる赤い玉を社務所で受け取り、「はじまりの碑」に近付いて穴に通すのだそうです。
願い事を叶える為に断ち切らなければならないことを念じ、穴に通すことで封じ込めるということだそうです。
<御祭神>
阿迦留姫命 神功皇后 住吉大神
<御由緒>
明治5年、郷社に列せられる。 創建年代は不明であるが、境内には正保5年(1648年)からの石灯篭が10基あり、少なくとも江戸時代以前から御祭神として阿迦留姫命を祀っていたことが考えられる。
「古事記」には、阿迦留姫命が新羅の王子(天之日矛)の妻となるが、夫に耐えかね祖国に逃避行してきたとある。 応神天皇の御代、新羅の国から筑紫(九州地方)の比売島、さらに移って摂津の比売島(姫島)に留まったと伝えられている。
阿迦留姫命は夫と別れ、海を渡り、新たな地で再出発し、女性達に機織りや裁縫、焼き物や楽器などを教えたことから、多くの女性に親しまれ「決断と行動の神様」として信仰されてきた。
また、赤い玉が美しい女性に姿を変えたことから、美の神様ともいわれている。
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