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かみつじんじゃ

神津神社の御由緒・歴史
大阪府 十三駅

ご祭神《主》応神天皇,神功皇后,底筒男命,中筒男命,表筒男命,宇賀御霊神,菅原道真,少彦名神,猿田彦神
ご由緒

神津神社は今を去る四百数十年前、天正年間に八幡大神を現在の地にお祀りしたのにはじまります。当時はこの地を摂津国西成郡小島村といい、「正八幡宮」と称され、文禄年間(1592〜1596)、延宝年間(1673〜1681)、宝永七年(1710)、寛政十一年(1799)に社殿は再建されています。明治四十二年(1909)、に神津村の木川、野中、新在家(現在の新高)、堀上、今里、堀(現在十三本町)の各村の氏神を小島村の八幡宮に合祀し、社名を神津神社と改めました。その後、昭和四年、同二十四年にも改築され、昭和四十七年には現社殿、翌年には参集殿が造営されました。

歴史
歴史[編集] もとは八幡神社と称し、中津川・神崎川の氾濫で旧記録流失し創記年代は不詳。旧地名小島から小島八幡といわれていた。昭和4年(1929年)の社殿改築時に見つかった宝永7年(1710年)銘の棟札には天正年中(1573〜1592年)勧請とある[1]。 明治5年(1872年) - 村社に列せられる。 明治42年(1909年) - 野中の野々宮神社、新在家の東宮稲荷神社、西宮稲荷神社、堀上の稲荷神社、今里の八幡神社、木川の村社産土神社、天満神社、堀の稲荷神社を合祀。 明治44年(1911年) - 小島の猿田彦神社を合祀して、現在の社名に改める。 明治44年(1911年) - 神饌幣帛料...Wikipediaで続きを読む
引用元情報神津神社」『ウィキペディア日本語版』。
この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E7%A5%9E%E6%B4%A5%E7%A5%9E%E7%A4%BE&oldid=95230336

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