しんがんじ|浄土宗|真田山
心眼寺のお参りの記録一覧(2ページ目)
大阪新四十八願所11番
元和8年4月、白牟和尚が戦国武将真田幸村父子の冥福を祈り堂宇を建立。境内地は幸村が戦捷をおさめた大坂冬の陣の大阪城出丸城郭跡(真田丸)で、幸村鎧掛けの松の木もあったが、昭和20年の大阪大空襲により堂宇ともども焼失した。
何度か真田幸村関連で訪れたこともある心眼寺へ立ち寄る。今日再訪したのは幸村ではなく、見廻組の墓を見に来た。入り口の見慣れた幸村の石碑の向かいに、真新しい
「京都見廻組 桂早之助 渡辺吉太郎 墓所 当山」
と彫られた石碑が建っていた。六文銭の刻まれた門をくぐって境内に足を踏み入れる。本堂脇に2人の墓が並び、新しく銘板が設置されていた。
見廻組は佐々木只三郎、渡辺吉太郎、高橋安二郎、桂早之助、土肥仲蔵、桜井大三郎、今井信郎らが龍馬と中岡暗殺に関わっている。映画やドラマでは佐々木や今井がクローズアップされることが多い。渡辺吉太郎については吉三郎や一郎とも名乗っていて、維新後にも篤と改名している。晩年になってから家族に自分が実行犯の一人だと語ったことが「大阪朝日新聞」に掲載された逸話は知っていたが、恥ずかしながらもう一人の隊士・桂早之助についてはこの再訪で知った。彼が暗殺時に帯びていた佩刀は越後守包貞の脇差で、現在実物が京都霊山歴史博物館に収蔵されている。近江屋事件後は他の隊士と同じく鳥羽伏見戦争に参加し、下鳥羽付近で戦死している。その後大阪にあるこの寺に葬られたそうだ。
昨年戦場跡をじっくりと歩いたり、主力であった会津藩士の眠る墓などたくさん見学した。まさかこんな場所にも関連するものがあったことに驚いた。見廻組も含めて旧幕府軍の人々が、人知れず大阪や京都の片隅にひっそりと眠っている事実を、幕末ファンとしてはもっと知ってほしいと感じた。
大阪新四十八願所阿弥陀第11番札所の浄土宗寺院。
ここは、大阪冬の陣で真田幸村の陣地であり、幸村とその子供大助の冥福する寺院です。
御朱印は寺務所にて書き置きで頂きました。
山門。
大阪冬の陣地跡(真田丸)です。
山門にある「六文銭紋」
地蔵堂。
まんなおし地蔵
本堂。
大阪府のおすすめ🍁
最新の限定御朱印情報が届く!
御朱印メルマガを受け取ろう
利用開始をもって利用規約・プライバシーポリシーに
同意したものとみなします。
ホトカミで困ったこと、不具合のご報告はこちらから
お問い合わせ
1
0