えんじゅあん(かまはちまん)
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円珠庵(鎌八幡)ではいただけません
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円珠庵(鎌八幡)のお参りの記録(1回目)
投稿日:2017年11月06日(月)
参拝:2017年11月吉日
有名なので後回しにしてました(笑)
この前にある中学校は母校なので、常に前を通って通学していたんですよ。
以前はもっとうっそうとしたお寺さんでした。
そりゃぁ、オドロオドロシイ噂もいくつも耳にしてましたが、「真田丸」の放映と共に一気に脚光を浴びまして、随分綺麗になりました。
この前の道路は「三韓坂」と呼ばれ、半島からの使者がここを通って、今でいう迎賓館である「三韓館」に入ったと言われています。
「なにわ三韓館をつくらしむ。神功皇后三韓より帰られてのち、かの地の国王みつぎものを奉るの使節来たるとき、三韓より船にてなにわ津に来たり、まず三韓館に入りしのち、京にのぼる」とありますが、京とは京都ではなく奈良だったと思われます。
で、そこに榎が一本生えていたんですよ。大阪では榎信仰が結構ありますからね、この榎に鎌を打ち付け願えば叶うという信仰がありまして、かの真田幸村もそれに準じたと言われています。
江戸になり契沖がそこに庵を結んで「円珠庵」と称したという事で今に至ります。
名前から、榎ではなく槐(えんじゅ)だったのかなとぼんやりと思っています。
なにしろ空襲で焼けましたからね。
実は未だに中に入った事がありません。
地元ならではの色々がありまして入れないでいます(苦笑)
でもこれだけの往来があったら空気も流れているだろうからいつかお参りはしたいと思っています。
この前にある中学校は母校なので、常に前を通って通学していたんですよ。
以前はもっとうっそうとしたお寺さんでした。
そりゃぁ、オドロオドロシイ噂もいくつも耳にしてましたが、「真田丸」の放映と共に一気に脚光を浴びまして、随分綺麗になりました。
この前の道路は「三韓坂」と呼ばれ、半島からの使者がここを通って、今でいう迎賓館である「三韓館」に入ったと言われています。
「なにわ三韓館をつくらしむ。神功皇后三韓より帰られてのち、かの地の国王みつぎものを奉るの使節来たるとき、三韓より船にてなにわ津に来たり、まず三韓館に入りしのち、京にのぼる」とありますが、京とは京都ではなく奈良だったと思われます。
で、そこに榎が一本生えていたんですよ。大阪では榎信仰が結構ありますからね、この榎に鎌を打ち付け願えば叶うという信仰がありまして、かの真田幸村もそれに準じたと言われています。
江戸になり契沖がそこに庵を結んで「円珠庵」と称したという事で今に至ります。
名前から、榎ではなく槐(えんじゅ)だったのかなとぼんやりと思っています。
なにしろ空襲で焼けましたからね。
実は未だに中に入った事がありません。
地元ならではの色々がありまして入れないでいます(苦笑)
でもこれだけの往来があったら空気も流れているだろうからいつかお参りはしたいと思っています。
すてき
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