えのきりゅうおう/えのきじぞうそん
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榎龍王/榎地蔵尊ではいただけません
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榎龍王/榎地蔵尊のお参りの記録(1回目)
投稿日:2017年09月04日(月)
参拝:2017年9月吉日
大阪千日前にある小社2社です。
立て看板には「明治初期に区画整理で榎神社の境内の大きな榎を切り倒そうとすると、そのたたりが職人にふりかかり、白蛇を祀ったら祓われた」と書かれてあります。
大阪の繁華街の中に埋もれるように残っていました。
この小社はかつてここにあった榎神社の残り社です。
これを退かせることが出来ない理由がここにあります。
こっからはホラーかも。苦手な方は読まないでください。
「千日前」と言う名前は「大坂夏の陣」で多数の犠牲者が出たことにより、この地で千日間読経をあげていたという事からつけられた名前であるという事を聞いた事があります。
当時ここは大阪の墓場だったからでもあります。
江戸時代になりここに処刑場が設けられました。「黒門」と言う地名が残っていますがその名前が処刑場の門そのものだったんです。
明治の区画整理で処刑場は無くなり、墓は迎仏と共に天王寺にある市設南霊園へ移されました。しかしながら墓は移動しても罪人を埋めた土饅頭の遺骨はやはりあるもので、戦後の焦土と化した町の土地開発中に遺骨も掘り出されたという話も聞きます。
そして、戦後の大火災事件、「千日前デパートの火事」が起こりました。
そこからこの付近の怪談話が始まりました。今もタクシーは深夜にここで客待ちはしません。ここは眠らない町なのでお客様も多いはずなのに絶対に客を拾わないと聞きました。そして以前からあった飲食店には馴染みの客の亡霊が出没するのは1軒や2軒ではありません。皆さん、「悪させいへんし、馴染み客やから放っておいたって」と言われるそうです。この地は過去からの因縁で生きているものとそうでは無いものが行き交う土地。
そんな土地で今もなお過去を静かに語り継いでいる二社なのです。
立て看板には「明治初期に区画整理で榎神社の境内の大きな榎を切り倒そうとすると、そのたたりが職人にふりかかり、白蛇を祀ったら祓われた」と書かれてあります。
大阪の繁華街の中に埋もれるように残っていました。
この小社はかつてここにあった榎神社の残り社です。
これを退かせることが出来ない理由がここにあります。
こっからはホラーかも。苦手な方は読まないでください。
「千日前」と言う名前は「大坂夏の陣」で多数の犠牲者が出たことにより、この地で千日間読経をあげていたという事からつけられた名前であるという事を聞いた事があります。
当時ここは大阪の墓場だったからでもあります。
江戸時代になりここに処刑場が設けられました。「黒門」と言う地名が残っていますがその名前が処刑場の門そのものだったんです。
明治の区画整理で処刑場は無くなり、墓は迎仏と共に天王寺にある市設南霊園へ移されました。しかしながら墓は移動しても罪人を埋めた土饅頭の遺骨はやはりあるもので、戦後の焦土と化した町の土地開発中に遺骨も掘り出されたという話も聞きます。
そして、戦後の大火災事件、「千日前デパートの火事」が起こりました。
そこからこの付近の怪談話が始まりました。今もタクシーは深夜にここで客待ちはしません。ここは眠らない町なのでお客様も多いはずなのに絶対に客を拾わないと聞きました。そして以前からあった飲食店には馴染みの客の亡霊が出没するのは1軒や2軒ではありません。皆さん、「悪させいへんし、馴染み客やから放っておいたって」と言われるそうです。この地は過去からの因縁で生きているものとそうでは無いものが行き交う土地。
そんな土地で今もなお過去を静かに語り継いでいる二社なのです。
すてき
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