あまつかむやしろ
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天神社ではいただけません
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天神社のお参りの記録(1回目)
投稿日:2023年05月09日(火)
参拝:2023年4月吉日
大阪市北区の国分寺から国分寺公園を挟んだ東側に鎮座しています。
「天神社」と書いて「てんじんじゃ」と読んでしまいそうですが、「あまつかむのやしろ」と読むのだそうです。
小さな神社ですが歴史は古く、また立派な手水鉢が印象的でした。
<御祭神>
天穂日命 菅原道真公
<御由緒>
当神社は、聖武天皇の御代、天平十年(738年)行基菩薩が、この地方に巡錫に来られた際、この地方開拓の守護神として、「天穂日命」を勧請し奉り、民衆の幸福を祈念せられて以来、祭祀を絶やすことなく今日に至っている。
資料は散逸して不詳であるが、西隣の国分寺の鎮守社として創建されたとも言われ、明治初年当時の国分寺村村長安東萬次郎氏よりの聞伝えによると、江戸時代中期より、神佛混淆思想の影響で、東隣の正徳寺の同域境内にあって管理されていたが、明治六年神佛分離令によって分離独立し、当初社名を天神宮と称したが、明治五年社格を「村社」に列せられてより、天神社に改める。
ー中略ー
「御神体」は、創建当時は小祠であったので、鏡又は石玉類であったと思われるが、分離独立した時に寺側より返納された御神像(木造彩色坐像)を現在御神体として奉斎申し上げております。
「天神社」と書いて「てんじんじゃ」と読んでしまいそうですが、「あまつかむのやしろ」と読むのだそうです。
小さな神社ですが歴史は古く、また立派な手水鉢が印象的でした。
<御祭神>
天穂日命 菅原道真公
<御由緒>
当神社は、聖武天皇の御代、天平十年(738年)行基菩薩が、この地方に巡錫に来られた際、この地方開拓の守護神として、「天穂日命」を勧請し奉り、民衆の幸福を祈念せられて以来、祭祀を絶やすことなく今日に至っている。
資料は散逸して不詳であるが、西隣の国分寺の鎮守社として創建されたとも言われ、明治初年当時の国分寺村村長安東萬次郎氏よりの聞伝えによると、江戸時代中期より、神佛混淆思想の影響で、東隣の正徳寺の同域境内にあって管理されていたが、明治六年神佛分離令によって分離独立し、当初社名を天神宮と称したが、明治五年社格を「村社」に列せられてより、天神社に改める。
ー中略ー
「御神体」は、創建当時は小祠であったので、鏡又は石玉類であったと思われるが、分離独立した時に寺側より返納された御神像(木造彩色坐像)を現在御神体として奉斎申し上げております。
すてき
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