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いかすりじんじゃ

坐摩神社の御由緒・歴史
大阪府 本町駅

ご祭神坐摩神五柱(生井神,福井神,綱長井神,阿須波神,波比祇神)
創建時代神功皇后年間
ご由緒

神功皇后新羅より御帰還の折、淀川南岸の大江田蓑島後の渡辺の地に奉祀せられたことに始まる。
延喜式神名帳には摂津国西成郡の唯一の大社と記され、往古より産土神として今日に至る。
坐摩(いかすり)の語源は、土地又は居住地を守り給う意の居所知(いかしり)が転じたものと伝わる。
天正十年(1582)豊臣秀吉の大坂城築城の際替地を命じられ、寛永年間現在地に遷座。現在の鎮座地名を渡辺と称するのは元の地名が移されたことによる。故に全国の渡辺・渡部等の姓の発祥の地とされる。
明治天皇御降誕に際し宮中より御安産の御祈願を仰せつかり、秋季大祭当日(旧暦九月二十二日)皇子無事御降誕あらせられる。明治元年、明治天皇大阪行幸の折当社に御親拝になり、境内での相撲を天覧遊ばされる。昭和十一年官幣中社に列せられる。

歴史
歴史[編集] 神功皇后の創建[編集] 当社の始まりは、神功皇后が三韓征伐より帰還したとき、淀川河口の地に坐摩神を祀り花を献じたとされ(献花祭のいわれ[1])、応神天皇の3年に社殿を奉じたと伝わる[2]。今でも旧社地であった坐摩神社行宮には「神功皇后の鎮座石」と言われる巨石が祀られている。延喜式神名帳では摂津国西成郡唯一の大社に列し、住吉大社と同じく摂津国一宮を称している。『万葉集』の中には、難波津から西国へ向かう防人が旅の安全を坐摩社に祈る歌がある。同社の神紋が白鷺なのも、神功皇后が坐摩の神の教えにより白鷺の多く集まる場所に坐摩神を奉遷なされたことに由来する[3]。 渡辺津の守護神[...Wikipediaで続きを読む
引用元情報坐摩神社」『ウィキペディア日本語版』。
この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E5%9D%90%E6%91%A9%E7%A5%9E%E7%A4%BE&oldid=101361653

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