なんばじんじゃ
難波神社のお参りの記録一覧(6ページ目)
難波のような賑やかな場所にあると思えないほど、神社内は静かで雰囲気も良かったです。
御朱印のデザインもアヤメの花で可愛いです。
創建は飛鳥時代で、神社の主祭神は難波の守り神である「大国主命(おおくにぬしのみこと)」で、商売繁盛や交通安全のご利益があるらしいです。
左に稲荷神社、右に社務所があります。
こんな長い階段がある神社は初めてでした!
階段登って参拝というのはあまり経験したことなかったのでよかったです😊
ちらほら参拝されているかたがいました。
空いていたので早く頂けました。
獅子の顔が飾ってありました。
#難波神社
ご祭神は仁徳天皇。配祀神にスサノオの尊、ウガノミタマの尊。
#仁徳天皇
第16代天皇。和風の御名はオオサザキの尊。古事記では大雀命、日本書紀では大鷦鷯尊。古事記・日本書紀とも、応神天皇と皇后ナカツヒメの命の子とする。
確かそこまで言って委員会だったと思うが、竹田恒泰氏が、古事記に書かれている仁徳天皇の事績を熱弁していた。国民が貧しいのを見てとるや課税を3年間停止し、彼らの税負担能力が回復するのを待ったと。その間は御殿の補修も行わず、雨漏りしても放置したと。
たまたま僕の住む地域でその回が放送されたのは、先の大会の直前か最中だった。そのため、宦菅が殷の紂王よろしく酒池肉林やってる時代に仁徳天皇のこと聞かされてもなあ、と余計に気分が沈んだことを覚えている。
恒泰古事記でも、彼についてはコラムを立てて論じられていた。農奴は領主の所有物というのが世界の常識である時代に、君主が国民の福祉のためにいるという概念が存在すること自体がすごい。内容が史実だったか否かは関係ない、という趣旨だ。
コラムを見て初めて、なぜ僕の目に当時の社会状況や殷の紂王と仁徳天皇が対照的に映ったのかについて、考えが及んだ。古事記の記述は周公旦の影響を受けているのではないか、と。国民にばかり負担を強い自らは享楽の限りを尽くした紂王と、彼を倒して徳政を敷いた周公旦。元より対置される存在だ。
御祭神 仁徳天皇 配祀 素戔嗚尊 倉稲魂尊
豊臣秀吉が大阪城を建てた1583年現在の地に移された。当時は、住吉大社の2倍の境内に四方鳥居が許可された大社だった。大坂夏の陣での焼失、火災、空襲による全焼ののち、現在の姿に。
御神木の楠に会いに参拝。
ブランド店が立ち並ぶ中、四方を鳥居に囲まれて鎮座されています。
6月に菖蒲祭が控えているそうです。御神紋が菖蒲です。
本殿後ろ側より
金刀比羅神社 大物主大神
御神木 楠 樹齢400年とも700年とも 大阪市指定の保存木
戦災を潜り抜けた市内中心部最古の楠
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