こうやじ|真言宗犬鳴派
高野寺のお参りの記録一覧
明治4年に長州藩主毛利敬親が長州蔵屋敷の跡地を高野山金剛峯寺に寄進。その跡地に寺を建立したのが始まり。古伝の弘法大師像を安置した。明治13年、正式に高野山準別格本山「三蔵院」を移還、高野寺と改称した。
西区に用事があり、少し時間ができましたので、近くの寺社を検索して、摂津国八十八ヶ所霊場 二十七番札所の高野寺へ。真言宗犬鳴派といえば、この間お参りさせていただいた犬鳴派本山の泉佐野市の七宝瀧寺を思い出しました。😊ご本尊は弘法大師尊像です。お参りの後、本堂前に可愛いい御守りがいくつも置かれてあり、手作りとの説明書きに思わず自分の守護本尊の大日如来御守と主人の守護本尊の不動明王御守を授かりました。お代金は自分で御賽銭箱に投入する形式です。ミニ御守なので早速お財布に!😉
いきなり夏仕様のお地蔵さまが目に入り、二度見してしまいました!😍
お不動さま
本堂
大日如来御守 アップで撮影しましたがサイズはミニミニサイズでとても可愛い💕です。
不動明王御守
中之島から江戸堀にかけ、かつては諸藩の蔵屋敷が並ぶ景観でした。また伏見からの30石船が着く船場があり、幕末にかけて大いに栄えました。久しぶりに新撰組会所のあった常安橋界隈へ。有名な大坂相撲との抗争の舞台であり、初の隊内粛清を受けた家里次郎が切腹した場所です。往時の面影は全くありませんが。大村益次郎寓居跡などがある橋のそばに、 長州藩大坂蔵屋敷跡の碑。 都落ち七卿事件の際、こちらに藩士らが立ち寄ったそう。そして、長州藩大坂蔵屋敷跡にある、三蔵院高野寺。廃藩置県後に毛利敬親が高野山に土地を寄進したことが由来。ゆえに、長州大師の別名がある。歴代の物故した藩主の位牌があるそうだが非公開。歩けば、藩邸が当時どれほど大きな規模だったかを体感できて面白い。
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