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ふくながいなりだいみょうじん

福永稲荷大明神の御由緒・歴史
大阪府 北新地駅

ご祭神稲荷神
創建時代応安年間
創始者渡辺十郎
ご由緒

当地には古くから小さな丘があり、野狐が栖としていたので、元禄時代には人々から狐塚と呼ばれていた。平安時代末期の保延年間に、源融公の十代目に当る渡辺伊豆三郎が当地を開拓して新邸を建てたが、南北朝時代の応安年間に十八代目の渡辺十郎が稲荷の祠を祀り、一家の守護神としたのが当社の創始である。当ビルの敷地を東西に貫いていた曽根崎商店街通を稲荷山通と称したのはこのためである。
明治初年には郷社露天神(当社の東方五百米。通称お初天神)の一座となったが、明治四十二年の大阪北の大火で付近一帯が焼失し、この祠だけが不思議にも焼け残ったので、当時の人々は焼けずの稲荷と呼んで畏敬した。更に三十七代目の渡辺義平の妻麻門は、渡辺家が代々崇敬してきた天満宮の祠をも建てて神域を整備したが、昭和二十年三月十四日の空襲により罹災した。
この由緒ある神祠の復興を思い立った当地の中谷栄五郎氏らは、とりあえず旧地に小祠を再建し今日までお祀りしてきたが大阪駅前市街地改造事業施行により、移転を余儀なくされたので地元有志が相集まり、旧地上に建築された大阪駅前第一ビルの屋上を新しい神域と定め末長く地区の繁栄と守護を祈願することとした。

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