たまつくりいなりじんじゃ
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楽しみ方玉造稲荷神社のお参りの記録(1回目)
投稿日:2017年08月02日(水)
街の中に溶け込むように鎮座しており、地域の鎮守社として静かにたたずんでいます。
この辺りは戦国時代、周辺に大大名の屋敷が立ち並ぶ場所で周辺には当時をしのぶ遺構や、細川ガラシャの住まいだった場所に立つ大聖堂などがあります。(ガラシャ終焉の地)
そういった事も考えながら歩いていると歴史が間近に迫ってきて、なかなか面白い地域です。
元々は比売社とされていた神社ですが、聖徳太子がここで祈願し、物部守屋に打ち勝った事から後に観音堂が建てられ、今はないのですが「大坂三十三観音札所」の10番目の札所になっています。
稲荷になったのは大阪城築城の折で、当時三の丸の発端だったこの位置にある神社を稲荷を勧請して現在の姿になっています。
ここは「玉造」という地名のゆかりとなった「玉作部」が住んでいた場所で、当時ここで勾玉が制作されており、今でも神社の資料館には勾玉が安置されており、社務所でお願いすれば中を見学することが出来るようです。
秀吉ゆかりの神社でもありますので、秀頼が建てた鳥居があったのですが、阪神淡路大震災の時に一部が壊れてしまい、二つに分けて今も神社内に鎮座しています。
ここの御祭神で何故ここに祀られているのかよくわからない神様がいらっしゃいます。
雅日女命(わかひるめのみこと)
神社では「身体の創生ならびに精神の安定を司る神」とあるのですが、この神様、「日本書紀」でスサノウが高天原で大暴れした時、死んだ馬を投げ飛ばした折に不幸にもとばっちりを受けて死んでしまった神様であるという記述があるだけでよくわかっていません。『ホツマツタヱ』ではアマテラスの妹君とありますが。
軻遇突智命(かぐつちのみこと)
神社では「金銀財宝の守護、金運、招福、鎮火、防火の神として、また縁結び夫婦和合にもご利益があると広く崇敬されている」とありますが、この方、実はこの方を出産したことでイザナミが亡くなり、怒ったイザナギにその場で切り殺された神様です。火の神様だとはわかるのですが、それが何故金銀財宝を守るという方に向いたのか・・・。
またここは大阪のお笑い専門の脚本家・秋田実の生誕の地という事で碑が建っており、そして利休が良水をこの辺りにあった井戸に求めた事があったので利休井が再掘されました。
江戸時代、一大流行になった伊勢参りの大阪拠点として知られており、いわゆる旅のガイドブックなるものをここで発行されていたようです。
そして近年復活した「玉造黒門白瓜」はここで栽培されふるまわれています。
詳しくは神社のHPで。
https://www.inari.or.jp/
この辺りは戦国時代、周辺に大大名の屋敷が立ち並ぶ場所で周辺には当時をしのぶ遺構や、細川ガラシャの住まいだった場所に立つ大聖堂などがあります。(ガラシャ終焉の地)
そういった事も考えながら歩いていると歴史が間近に迫ってきて、なかなか面白い地域です。
元々は比売社とされていた神社ですが、聖徳太子がここで祈願し、物部守屋に打ち勝った事から後に観音堂が建てられ、今はないのですが「大坂三十三観音札所」の10番目の札所になっています。
稲荷になったのは大阪城築城の折で、当時三の丸の発端だったこの位置にある神社を稲荷を勧請して現在の姿になっています。
ここは「玉造」という地名のゆかりとなった「玉作部」が住んでいた場所で、当時ここで勾玉が制作されており、今でも神社の資料館には勾玉が安置されており、社務所でお願いすれば中を見学することが出来るようです。
秀吉ゆかりの神社でもありますので、秀頼が建てた鳥居があったのですが、阪神淡路大震災の時に一部が壊れてしまい、二つに分けて今も神社内に鎮座しています。
ここの御祭神で何故ここに祀られているのかよくわからない神様がいらっしゃいます。
雅日女命(わかひるめのみこと)
神社では「身体の創生ならびに精神の安定を司る神」とあるのですが、この神様、「日本書紀」でスサノウが高天原で大暴れした時、死んだ馬を投げ飛ばした折に不幸にもとばっちりを受けて死んでしまった神様であるという記述があるだけでよくわかっていません。『ホツマツタヱ』ではアマテラスの妹君とありますが。
軻遇突智命(かぐつちのみこと)
神社では「金銀財宝の守護、金運、招福、鎮火、防火の神として、また縁結び夫婦和合にもご利益があると広く崇敬されている」とありますが、この方、実はこの方を出産したことでイザナミが亡くなり、怒ったイザナギにその場で切り殺された神様です。火の神様だとはわかるのですが、それが何故金銀財宝を守るという方に向いたのか・・・。
またここは大阪のお笑い専門の脚本家・秋田実の生誕の地という事で碑が建っており、そして利休が良水をこの辺りにあった井戸に求めた事があったので利休井が再掘されました。
江戸時代、一大流行になった伊勢参りの大阪拠点として知られており、いわゆる旅のガイドブックなるものをここで発行されていたようです。
そして近年復活した「玉造黒門白瓜」はここで栽培されふるまわれています。
詳しくは神社のHPで。
https://www.inari.or.jp/
すてき
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