ほしだみょうけんぐう
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楽しみ方星田妙見宮のお参りの記録(1回目)
投稿日:2025年03月27日(木) 23時03分00秒
参拝:2025年3月吉日
大阪府交野市星田、JR学研都市線
星田駅から徒歩約20分超。大阪の御朱印巡りの締めに降星伝説のある星田妙見宮に参拝。生駒山系に残る数少ない磐座信仰の霊場のひとつ。ご祭神の天之御中主大神(あめのみなかぬしのおおかみ)は仏教では「北辰妙見大菩薩」と呼ばれていて、最高神であり、北極星を司るそうです。
御朱印と御朱印帳をいただきましまた。
高台にある本殿からは街を見下すことができとてもいい景色でした。
1615年(慶長20年)の大阪夏の陣に向かう徳川家康が近くにある星田公園で軍議を開き、出陣したと伝わる場所。徳川家康もこの辺りから大阪を見下ろしていたのかなぁと思いました。
正式名-小松神社
主祭神 - 天之御中主大神、高皇産霊大神、神皇産霊大神
社格等-星田神社の境外末社
・映画「君の名は」のモデル
隕石の落ちた場所。
「伝家康ひそみの藪」物語
天正十年(1582)6月2日の明け方に織田信長が京都本能寺にて家臣明智光秀の反逆によって果てたとき、信長と同盟を結んでいた徳川家康は身の危険を察知して、すぐさま訪問先の堺を退去して本国三河に帰ろうとし、6月2日の深夜には星田に、星田の伝承では星田炒見宮の参道の入口の北(鳥居に向かって左側)に
地元の人は家康の藪くらがあったところといっていて、俗にいう「けんしきの藪」、家康が堺から三河に逃げ帰る(伊賀越え)の途中、一時この藪に潜んでいたと言い伝えがあります。
このあたりは豊臣方寄りの安全ではないエリアなのに隠れて生き延びたり、出陣して勝利、家康とは縁があり何かの加護でももらったのか不思議な感じがしました。
星田駅から徒歩約20分超。大阪の御朱印巡りの締めに降星伝説のある星田妙見宮に参拝。生駒山系に残る数少ない磐座信仰の霊場のひとつ。ご祭神の天之御中主大神(あめのみなかぬしのおおかみ)は仏教では「北辰妙見大菩薩」と呼ばれていて、最高神であり、北極星を司るそうです。
御朱印と御朱印帳をいただきましまた。
高台にある本殿からは街を見下すことができとてもいい景色でした。
1615年(慶長20年)の大阪夏の陣に向かう徳川家康が近くにある星田公園で軍議を開き、出陣したと伝わる場所。徳川家康もこの辺りから大阪を見下ろしていたのかなぁと思いました。
正式名-小松神社
主祭神 - 天之御中主大神、高皇産霊大神、神皇産霊大神
社格等-星田神社の境外末社
・映画「君の名は」のモデル
隕石の落ちた場所。
「伝家康ひそみの藪」物語
天正十年(1582)6月2日の明け方に織田信長が京都本能寺にて家臣明智光秀の反逆によって果てたとき、信長と同盟を結んでいた徳川家康は身の危険を察知して、すぐさま訪問先の堺を退去して本国三河に帰ろうとし、6月2日の深夜には星田に、星田の伝承では星田炒見宮の参道の入口の北(鳥居に向かって左側)に
地元の人は家康の藪くらがあったところといっていて、俗にいう「けんしきの藪」、家康が堺から三河に逃げ帰る(伊賀越え)の途中、一時この藪に潜んでいたと言い伝えがあります。
このあたりは豊臣方寄りの安全ではないエリアなのに隠れて生き延びたり、出陣して勝利、家康とは縁があり何かの加護でももらったのか不思議な感じがしました。
すてき
投稿者のプロフィール

金兎574投稿
娘が御朱印をはじめ、京都に帰郷した際に天龍寺で手書きの御朱印をいただきとても感動したのがきっかけです。2023年からはじめました。 京都には沢山の神社仏閣があり生活の中で触れあってきましたが、御...もっと読む
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