いしきりつるぎやじんじゃかみのしゃ
御朱印・神社お寺の検索サイト楽しみ方
石切劔箭神社上之社ではいただけません
広告
石切劔箭神社上之社のお参りの記録(1回目)
投稿日:2021年07月10日(土)
参拝:2021年6月吉日
石切剱箭神社(いしきりつるぎや~)・上之社は、大阪府東大阪市上石切町にある神道石切教の神社。式内社で、旧社格は村社。祭神は饒速日尊(にぎはやひのみこと)と可美真手命(うましまでのみこと)の2柱。古来「石切さん」、「でんぼ(腫れ物)の神様」として親しまれ、本殿前と神社入口にある百度石の間を行き来する「お百度参り」で有名。
当社の創建は不詳。室町時代に社殿焼失後、社家の口伝をまとめたところだと、神武天皇2年(紀元前659年)、現生駒山中の宮山に饒速日尊を祀ったのが始まりで、崇神天皇の時代に下之社(現本社)に可美真手命を祀ったとしている。『日本三代実録』には平安時代865年に神階昇叙の記載がある。また927年の『延喜式神名帳』には「河内国 河内郡 石切剱箭命神社
二座」と記載されている。室町時代末期に兵火にかかり社殿を焼失、その後復興したが、宮山にあった祭祀の場はいつしか現上之社(奥の院)の場所に遷された。
当社(上之社)は、近鉄奈良線・石切駅の南東400mほどの山の中にある。山の下手の鳥居をくぐるとゆるやかな石段があって、手水舎のあるところからさらに直線の石段を登るとさほど広くはない境内がある。石段上には百度石があって、こちらでも本社同様<お百度参り>ができる。
式内社で人気神社の<石切剱箭神社>を事前に調べていたら上之社があるというので参拝することに。参拝時は平日の午前中、境内では真剣に<お百度参り>をしている人が数人いて、すごい勢いで拝殿前と百度石の間をぐるぐる廻っているので、あまりゆっくり参拝できなかった。
当社の創建は不詳。室町時代に社殿焼失後、社家の口伝をまとめたところだと、神武天皇2年(紀元前659年)、現生駒山中の宮山に饒速日尊を祀ったのが始まりで、崇神天皇の時代に下之社(現本社)に可美真手命を祀ったとしている。『日本三代実録』には平安時代865年に神階昇叙の記載がある。また927年の『延喜式神名帳』には「河内国 河内郡 石切剱箭命神社
二座」と記載されている。室町時代末期に兵火にかかり社殿を焼失、その後復興したが、宮山にあった祭祀の場はいつしか現上之社(奥の院)の場所に遷された。
当社(上之社)は、近鉄奈良線・石切駅の南東400mほどの山の中にある。山の下手の鳥居をくぐるとゆるやかな石段があって、手水舎のあるところからさらに直線の石段を登るとさほど広くはない境内がある。石段上には百度石があって、こちらでも本社同様<お百度参り>ができる。
式内社で人気神社の<石切剱箭神社>を事前に調べていたら上之社があるというので参拝することに。参拝時は平日の午前中、境内では真剣に<お百度参り>をしている人が数人いて、すごい勢いで拝殿前と百度石の間をぐるぐる廻っているので、あまりゆっくり参拝できなかった。
境内入口にある<鳥居>と<社号標>。
鳥居の階段を登ったところにある<手水舎>。この場所で2つの参詣道が1本になる。
手水舎の近くにある<親子連牛像>。
手水舎の場所から社殿に向かう階段。両側の白い奉納幟が気分を盛り上げる。
階段を登り切ったところからの<拝殿>。
<拝殿>全景。
拝殿の後ろにある<本殿>。拝殿のサイズに比べるとかなり小さい。写真左側の石柱には<石切剱箭神社上之社址>の文字。
拝殿に向かって左手にある建物。拝殿とは空中渡り廊下で繋がっている。社務所かな?
拝殿に向かって右手にある建物。拝殿とは空中渡り廊下で繋がっている。授与所かな?
最後に境内全景。拝殿前の四角い石積、井戸のような丸い石積は、どんな意味があるのかな?
参拝を終え、石段、坂道を下ってきたところ。遠くの大阪中心部が見渡せる。
投稿者のプロフィール
惣一郎1269投稿
ホトカミ見ました! で広がるご縁
ホトカミを見てお参りされた際は、もし話す機会があれば神主さんに、「ホトカミ見てお参りしました!」とお伝えください。
神主さんも、ホトカミを通じてお参りされる方がいるんだなぁと、ホトカミ無料公式登録して、情報を発信しようという気持ちになるかもしれませんし、
「ホトカミ見ました!」きっかけで豊かな会話が生まれたら、ホトカミ運営の私たちも嬉しいです。