はたものじんじゃ
機物神社大阪府 津田駅
参拝自由
御朱印 | |||
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限定 | - | ||
御朱印帳 | |||
駐車場 | 拝殿裏あたりの場所に、10台停めることが可能 |
星田や天の川などの織姫彦星伝説に関連する地名が残る交野市に鎮座しています。創建は不詳ですが、室町時代にあの吉田神道創始者の吉田兼倶が奉幣を行った記録があるため、有力な神社として扱われていたことは確かです。
本日は七夕ということで、七夕祭りに合わせて行ってきました。
《鳥居と社号碑》
めちゃくちゃ人来てます。
《西参道》
日曜日なのもあって若い人たちが沢山来てますね。
《授与所》
巫女さんたちが通常通り応対してます。いや、いつも以上に忙しいでしょうかね…
御朱印を書き置きでいただきました。
《手水舎》
水は流れています。縁日ですがお参りに来る人はちゃんと手を洗ってます。
《笹の葉》
この場所は社名の通り機織り技術を持っていた秦氏がこの地でその技術を伝えていました。またこの地にて行われた呪術的祭祀場は道教に由来するものであり、織姫彦星伝説は道教の神話とされています。七夕で結びつけられるのは最早運命であったと言えるかもしれませんね…
《拝殿前の鳥居》🙏
《参拝順路》
ではこの順にお参りして行きましょう。
《末社①》
春日大神さまと八幡大神さまを祀ります。
《末社②》
住吉、日吉、天神さんとあと…地留子命?ヒルコだったらエビスさんですかね?
《伊勢神宮遥拝所》
《稲》
《境内》
《短冊書入所》
《短冊》
日本の平和祈っときました。
《笹の葉》
👁チェックポイント‼️
短冊書いたのも笹に吊るすのもかなり久しぶりですね。なかなかこういう行事ごとも教育機関を離れるとなかなかやらなくなります。しかしこういった行事に参加していた経験をちゃんと積み、大人になってその運営側、または子供達を連れて参加して経験をさせることこそが、日本文化の伝統を守ることに繋がるのだと思ってます。
《南の神門》
今回は一方通行になっており、出口になってます。
《東の参道》
屋台通りとなってます。
神域ですが今日だけは無礼講…かな?
《東の鳥居》
こちらも一方通行で出口になってます。
北河内の旅、4社目は機物神社
七夕の織姫である天棚機比売大神を祀る神社。七夕まつりでは多くの飾り付けがされ賑やかな様子です。
駐車場は北側、幼稚園横から入りますが、分かりづらいので見落とさないように。
今回はここまで。
御朱印。
神社西側の参道入り口。
多くの提灯。
進むと鳥居があります。
さらに進むと境内へ。参道からは写真左からになります。鳥居を潜って参拝。
拝殿です。新しいかな。
こちらは境内南側の神門。ちょっと独特の感じ。中は特に何もありません。
境内社、八幡大神、春日大神。
境内社、住吉大神、他3柱。
東門。
一月一日......................................歳旦祭
二月節分の日..............................節分祭
二月十七日...................................祈年祭
四月十日.......................................春祭り
六月三十日...................................大祓式(茅の輪くぐり)
七月七日.......................................七夕祭(例祭)
十月十六日...................................秋祭
十一月二十三日...........................新嘗祭
十二月三十一日...........................大祓式(祝箸等の授与、感謝の炎、大火焚き)
神社は由緒深く霊験あらたかで古より崇敬者多く、勧請創建の年月はよく判りませんが、伝説によりますと
文明八年(1476年)三月十一日に神紙管領のト部兼倶の奉幣があり
元亀三年(1572年)山岳に織田信長軍勢の狼籍陣取放火の禁制を出されました。
天正元年(1573年) 十一月十七日織田信長神境を東西二百六拾間南北六拾七間余と定められました。
また、神職の席次争いについて下知せられ、以後は神前で「くじ」で定めることになりました。
天正十年(1582年)六月九日明智光秀武軍長久を祈り初穂料白銀壱百枚を奉納あり
天正十一年(1583年)七月豊臣秀吉の先例に依り制礼を建てられました。
天正十六年(1588年) 四月十四日豊臣秀聚楽第行幸の日の快晴を祈って感応あり
四月十六日神饌米百俵宛を永年寄附せられました。
文禄三年(1594年)、五月十日豊臣秀次武軍長久大満願成就、感応により神殿の新造神饌領、領膳部、下行、馬飼併びに踊役等の配米として歳出米壱千俵を奉納
寛文七年(1667年) 社地の境界を信長所定の通りとせられました。
宝永五年(1708年) 大破のため社殿再建、これが現存のものであると伝えられています。
明治八年(1875年) 三月十日、本産土神に神宮寺、南町の神社を合祀し現在に至っています。
同四十年九月神饌幣帛料供進社に指定されていました。
名称 | 機物神社 |
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読み方 | はたものじんじゃ |
参拝時間 | 参拝自由 |
参拝にかかる時間 | 約15分 |
参拝料 | なし |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
御朱印帳 | あり |
電話番号 | 072-891-4418 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
ホームページ | http://hatamono.web.fc2.com |
ご祭神 | 《主祭神》 天棚機比売大神 《配祀神》 栲機千々比売命大神 地代主大神 八重事代主大神 |
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ご神体 | 不詳 |
創建時代 | 不詳 |
創始者 | 不詳 |
ご由緒 | 神社は由緒深く霊験あらたかで古より崇敬者多く、勧請創建の年月はよく判りませんが、伝説によりますと
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体験 | 祈祷おみくじ絵馬御朱印お守り祭り伝説夏詣 |
概要 | 機物神社(はたものじんじゃ)は、大阪府交野市倉治にある神社。七夕に関する伝説で知られる神社である。祭神の天棚機比売大神は織姫にあたる。 |
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歴史 | 由緒[編集] この神社の創建年代等については不詳であるが、卜部兼倶が奉幣した記録があることから室町時代にはすでに格式ある神社として認識されていたと考えられる。 境内[編集] 本殿 拝殿 前拝殿 境内社[編集] 東宮 西宮 参考文献[編集] 機物神社由緒略記(社務所にて頒布のもの) |
アクセス | 交通アクセス[編集] 学研都市線(JR西日本)津田駅下車、徒歩10分。 京阪本線香里園駅、京阪交野線交野市駅、学研都市線津田駅から、京阪バス倉治バス停下車すぐ。 |
引用元情報 | 「機物神社」『ウィキペディア日本語版』。 この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E6%A9%9F%E7%89%A9%E7%A5%9E%E7%A4%BE&oldid=100998125 |
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