しきなぐう
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参拝記念⛩️✨
識名宮 琉球八社
沖縄県那覇市に鎮座する識名宮へ参拝に上がらせて頂きました🙏
こじんまりとしていますが鍾乳洞みたいな奥宮があり沖縄ならでは!という社殿です。

御朱印

鳥居



参道




手水舎


絵馬

二の鳥居


狛犬


拝殿


拝殿内

拝殿からの振り返り


本殿

本殿の後ろ側
鍾乳洞?

ディナーは那覇市の招待日和で
A Long Vacationさまにて

モヒート

トリュフが香ばし😋✨





宮司様が兼務の為決まった時間に行かないと御朱印はいただく事できないと事前情報があったので先に連絡して居る時間確認してから行ったほうが確実です
御由緒によると
当宮は琉球八社と呼ばれた由緒ある社の一つです。社号は琉球神道記(一六〇八年)には「尸棄那権現」、琉球国由来記(一七一三年)には「姑射山権現」と記されています。尚、前者には「縁起亦明ナラズ。熊野神ト見ヘタリ。石窟惟霊地也」と祭神のことが記されています。
さらに近世沖縄における熊野三山、いわゆる権現信仰としては末吉宮は熊野新宮に、普天満宮は熊野那智(飛龍)に、識名宮は熊野本宮に見立てて信仰されていました。
当宮は特に琉球王の篤い信仰を承け、尚元王(一五五六~七二年)の長子尚康伯の病気回復に霊験を得て、識名宮と神応寺を建て、大あむしられに看守させたといわれています。
尚賢王(一六四四年)から毎年一・五・九月の吉日に国王の行幸が始まりました。一六七一年隣接の神応寺は臨済宗より真言宗に改宗(住持覚遍和尚)。
戦前の識名宮神社の社殿はもと洞内にありましたが湿気がひどく腐朽し、康煕十九年(一六八0年)に洞外に移築して、瓦葺としました。 ときの惣奉行守浄(阿姓四世)によって、三月十一日~四月二〇日にかけて拝殿・石垣などの修補がなされ完成しました。(阿姓大宗家/那覇市史資料集1-7).王府時代は神職の役俸と営繕費は王府から支給されていました。
戦前の建物は、三間社流造り、本瓦葺き、桁行三・七m、梁間二・四mの建築で、沖宮本殿に類似していましたが、残念ながら、戦災で焼失しました。戦後、識名宮奉賛会が発足して昭和四三年十二月に社殿が復興し、昭和四十七年五月十五日神社本庁包括、宗教法人識名宮となりました。















境内・文化財
境内・文化財をもっと見る|| 名称 | 識名宮 |
|---|---|
| 読み方 | しきなぐう |
| 御朱印 | あり |
| 限定御朱印 | なし |
| 電話番号 | 098-853-7225 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
| ホームページ | http://sikinagu.com |
巡礼の詳細情報
| 琉球八社 第3番 | 仏さま:伊弉冉尊、速玉男尊、事解男尊、午ぬふぁ神、識名女神 |
|---|
詳細情報
| ご祭神 | 《主》伊弉冊尊,速玉男命,事解男命 |
|---|---|
| 体験 | 札所・七福神巡り |
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