なみのうえぐう
波上宮のお参りの記録一覧(2ページ目)
約40年ぶりに友人と沖縄旅行の時 1番最初に訪れた⛩️
大鳥居をくぐると 沖縄らしい建物の本殿が⛩️
両側に本物のシーサー🐶🐶
なかなかの迫力😅
沖縄らしいご朱印帳を探しててhit‼️
紅型がカラフルでとてもステキ💓
私と友人の分をget👍
友人の交通安全シールと
今回の旅の安全を祈願して 旅行お守りを皆さんにお渡し☺️
怪我なく病気なく事故なく
無事に旅行ができますように👏👏
大鳥居⛩️
手水舎
本殿‼️
沖縄らしい建物🏝️
本物のシーサー🐶
社務所
これだけいただきました😊
創建の年代は不詳ですが、昔より理想郷である海神の国「ニライカナイ」の神々を信仰してきた沖縄で、 祈りを捧げる聖地、拝所の一つとして由来 されたといわれています。本殿の裏には沖縄で古来より信仰されている御嶽の鳥居があります。波上宮を望みながら、航路安全祈願と航海無事の感謝を願っており、人々も常に豊漁、豊穣を願っていたとのこと。1522年には琉球へ漂着してきた真言宗の僧、日秀上人が当宮を再興し、熊野信仰を広げたと伝えられています。明治の御代には官幣小社に列格し、総鎮守とされてきました。
その後戦争により被災してしまいましたが、1953年(昭和28年)に御本殿と社務所、1961年(昭和36年)に拝殿が再建されました。1993年(平成5年)に社殿が復興、翌年に諸境内整備が竣工されました。
【琉球八社巡り(お礼参り)】
波上宮(なみのうえぐう)は、沖縄県那覇市若狭にある神社。旧社格は官幣小社で、現在は神社本庁の別表神社。沖縄総鎮守で、琉球国新一の宮。主祭神は伊弉冉尊、速玉男尊、事解男尊の熊野三神、相殿神は竈神(火神)、産土大神、少彦名神(薬祖神)。別称は「波上(ナンミン)」、「波上権現」。琉球八社の1社。
昨日に続き参拝2回目。当宮は、琉球八社のうち安里八幡宮と末吉宮を兼務しているため、この2社の御朱印を拝受するために参拝。(兼務社参拝前には、兼務社の御朱印を拝受することはできないルールのため。)この2社の御朱印を拝受して、琉球八社の御朱印はコンプリート。結果的には、結願のお礼参りとなった。
当宮では、この日も昨日同様、家族連れなどの参拝者がけっこう訪れていた。
※琉球八社は、沖縄本島南部に集中しており、一筆書きで参拝すると距離はおよそ70km。金武宮だけが離れているが、車なら沖縄自動車道を経由すると早い。
※琉球八社と合わせて、ユネスコ世界遺産「琉球王国のグスク及び関連遺産群」に登録されている9拠点も同時に廻るのはおすすめ。今帰仁城跡(なきじん・じょうあと)は沖縄本島北部にあるが、その他8拠点は南部にあり、琉球八社と所在地が近い拠点が多い。世界遺産9拠点を一筆書きで訪問すると距離はおよそ140km。(下記に写真にて簡単にご紹介。)
<二の鳥居>の前が駐車場になっているので、今日はここからスタート。
二の鳥居をくぐり、わずかに曲がりながら参道を進む。
今日も参拝客・観光客がけっこう訪れている。
<拝殿>全景。沖縄っぽい赤瓦が良い~♪ (o^―^o)
授与所前から1枚。<安里八幡宮>と<末吉宮>の御朱印を待つ間に。
最後に<拝殿>を斜めから。しばらくは来れなさそうなので目に焼き付ける。(^▽^)/
【おまけ】
ユネスコ世界遺産「琉球王国のグスク及び関連遺産群」全9拠点を一挙ご紹介~♪ (o^―^o)
写真は、最初に訪問した<今帰仁(なきじん)城跡>にあった、世界遺産の所在地説明板。
①今帰仁(なきじん)城跡
②座喜味(ざきみ)城跡
③勝連(かつれん)城跡
④中城(なかぐすく)城跡
⑤首里城跡(火災を逃れた<奉神門>。内部は再建工事中。寄付のつもりで内部を参観。)
在りし日の<首里城正殿の王座>(2015年9月撮影)。
⑥園比屋武御嶽(そのひゃん・うたき)石門
⑦玉陵(たまうどぅん)
⑧識名園(しきなえん)
⑨斎場御嶽(せーふぁ・うたき)
【琉球八社巡り(1/8)】
波上宮(なみのうえぐう)は、沖縄県那覇市若狭にある神社。旧社格は官幣小社で、現在は神社本庁の別表神社。沖縄総鎮守で、琉球国新一の宮。主祭神は伊弉冉尊、速玉男尊、事解男尊の熊野三神、相殿神は竈神(火神)、産土大神、少彦名神(薬祖神)。別称は「波上(ナンミン)」、「波上権現」。琉球八社の1社。
創建は不詳。当地、波の上の崖端(花城:はなぐすく)は、はるか昔より、海神の国(ニライカナイ)の神々に祈りを捧げる聖地の一つとされてきた。1368年薩摩・坊津の一乗院より来琉した頼重法印が当宮の別当寺として護国寺を建て、琉球国王の祈願所とした。1522年倭僧・日秀上人が当宮を再興、1605年に倭僧・袋中上人が『琉球神道記』において当社を「当国第一の神社」と記した。琉球王国において琉球八社(官社)の制が設けられると、当社をその第一位とした。明治時代に入ると、琉球王国は廃され沖縄県が置かれ1890年に近代社格制度のもと官幣小社に列格した。1945年の米軍による沖縄戦で社殿を焼失するも、1952年にハワイで募金を集め、翌年本殿と社務所を復興した。1972年本土復帰を迎え、沖縄復帰奉告祭を催行、皇室より幣帛料を賜った。
当宮は、ゆいレール(沖縄都市モノレール)・旭橋駅の北北西1kmの海際の崖上にある。当宮までの道のりは平たんで、まばらに店舗がある商店街。当宮の西側は自動車学校、東側は旭ケ丘公園、北側は那覇市内唯一のビーチである<波の上ビーチ>がある。当宮入口で北向きに立つと、直進すると当宮、右に進むと元神宮寺の護国寺になる。入口から坂を上がって社殿までは100mほどで、奥半分ぐらいが社殿周り。広さとしては一の宮としては広くはないし、境内社も少なく、すべて見て廻っても時間はさほどかからない。境内の亜熱帯らしい草木や、本場の獅子・シーサーが、本土神社とは全然違う雰囲気を醸し出しているところが新鮮。
今回は、琉球国新一の宮、琉球八社の1社であることから参拝することに。参拝時は休日の午前中で、朝から割と多くの参拝者が訪れていた。
境内南端入口の<一の鳥居>と<社号標>。
鳥居をくぐると、参道は緩やかに登り始める(右側は駐車場への車道)。
前方に<二の鳥居>が見えてくる(手前は駐車エリアにも使う)。
一段高いところにある<二の鳥居>をくぐる。
亜熱帯の樹木の間を参道がわずかに曲がりながら抜けている。
参道左側の<手水舎>。沖縄っぽい。(o^―^o)
<拝殿>全景。1993年の再建。赤瓦に白い漆喰の沖縄仕様。
拝殿前左側の<吽形狛犬>。シーサーのように赤土を焼いているのかな。
拝殿前右側の<阿形狛犬>。眼鼻口が大きくて愛嬌がある。(o^―^o)
<拝殿>正面。屋根の高さはさほど高くない。
「波上宮」の扁額の両側には、琉球国王以来祈念してきた「国家鎮護」と「萬民泰平」の文字。
<拝殿>内部。整然としていてきれい。空が抜けているので明るい。
拝殿内上部で見つけた、美しい<由緒書>。金縁の額にに極彩色の十二支をあしらっている。
拝殿の右側から<本殿>を探しに行く。左手の建物がすでに<本殿>なのかな。
社殿後方。樹木の向こう側は断崖絶壁になっている。
<拝殿>内部を横から。写真右側に見える棚の<甕>は泡盛の奉納酒かな。(o^―^o)
<拝殿>前部を横から。
拝殿に向かって右手にある<社務所>。
社務所の<授与所>。御朱印はこちら。
拝殿に向かって左手にある<別神社の仮殿>。境内社ではないみたい。
左側は<世持神社>の仮宮。旧社格は郷社。神社本庁包括神社(沖縄県)。
沖縄を救い繁栄をもたらした三恩人を沖縄救祖と仰ぎ、昭和戦前1937年に創祀。
右側は<浮島神社>の仮宮。旧社格は県社。神社本庁包括神社(沖縄県)。
琉球王国・尚金福王時代に国相懐機が長虹堤築堤にあたり天照大神を奉じて創祀。
浮島神社の右手、本社社殿の左側。特に何もないみたい。
世持神社の左側にある<明治天皇銅像>。
明治天皇像の左側にある<昭和天皇のおことば>。
ここで二の鳥居から出て、境内東側を歩いてみる。
こちらは裏から見た<社務所>の建物。
広場の北側は、那覇市内唯一のビーチである<波の上ビーチ>。
当社はこんな感じで海に突き出ているんですね~♪ (o^―^o)
駐車場の脇にある<沖縄医生教習所記念碑>。昭和戦前の1928年建立。明治時代1885年に教習所がここで発祥したとある。
参道の坂道の脇にある<折口信夫の歌碑>。折口信夫は大正から昭和戦後にかけて活躍した民俗学者・歌人。柳田國男の高弟。
境内入口。鳥居がある左側が当宮で、右側は当宮の元神宮寺の<護国寺>の建物。
境内入口と、道を挟んで反対側にある<神宮會館>。Bridal Palaceと書いてある。
当宮は、本土の神社とはいろんな要素が違うのでかなり新鮮だったが、その中でも一番印象に残ったのは赤土の<狛犬>かな~♪
(^▽^)/
沖縄県の寺社仏閣巡りのスタートにあたり、琉球國一之宮である当社の御朱印帳を購入。
沖縄っぽいビビッドな色使い。裏面には崖上に建つ社殿が描かれている。
沖縄に上陸後まずは一宮である波上宮を参拝
ご由緒書によると当宮の創始年は不詳であるが、遙か昔の人々は洋々たる海の彼方、海神の国(ニライカナイ)の神々に日々風雨順和にして豊漁と豊穣に恵まれた平穏な生活を祈った。
その霊応の地、祈りの聖地の一つがこの波の上の崖端であり、ここを聖地、拝所として日々の祈りを捧げたのに始まる。波上宮の御鎮座伝説に『往昔、南風原に崎山の里主なる者があって、毎日釣りをしていたが、ある日、彼は海浜で不思議な"ものを言う石"を得た。以後、彼はこの石に祈って豊漁を得ることが出来た。この石は、光を放つ霊石で彼は大層大切にしていた。
このことを知った諸神がこの霊石を奪わんとしたが里主は逃れて波上山《現在の波上宮御鎮座地で花城と(はなぐすく)も呼んだ》に至った時に神託(神のお告げ)があった。即ち、「吾は熊野(くまの)権現也(ごんげんなり)この地に社を建てまつれ、然(しか)らば国家を鎮護すべし」と。そこで里主はこのことを王府に奏上し、王府は社殿を建てて篤く祀った』と云う。
以来、中国・南方・朝鮮・大和などとの交易(琉球王府直轄事業)基地であった那覇港の出船入船は、その都度、波上宮の鎮座する高い崖と神殿を望み、出船は神に航路の平安を祈り、入船は航海無事の感謝を捧げたという。また人々は常に豊漁、豊穣を祈り琉球王府の信仰も深く、王みづから毎年正月には列を整え参拝し、国家の平安と繁栄を祈るなど朝野をあげての崇敬をあつめ、琉球八社(官社)の制が設けられるや当宮をその第一に位(くらい)せしめ、「当国第一の神社」と尊崇された。
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