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安仁神社ではいただけません
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あにじんじゃ

安仁神社
岡山県 大富駅

御朱印について御朱印
あり
限定
-
御朱印帳
-
ありません
パーキング
駐車場
あり

あり

その他の巡礼の情報

備前国古社128社(別宮九社)

おすすめの投稿

赤トリイ
赤トリイ
2025年05月04日(日)
602投稿

岡山県岡山市東区にある安仁神社へ参拝⛩️ここは初代天皇・神武天皇の兄・五瀬命を祀っており「兄」から転じて「安仁」神社になったとのこと。参拝した日は近隣の方々が参道の掃除をされていた。玉砂利の敷き詰められた参道を抜けた境内も広い、大変キレイな神社でした。
御朱印は書置きが置いてありました。

安仁神社(岡山県)

安仁神社〜拝殿

安仁神社(岡山県)

安仁神社〜赤銅色の狛犬①阿像

安仁神社(岡山県)

安仁神社〜赤銅色の狛犬②吽像

安仁神社(岡山県)

安仁神社〜入口の社号碑と狛犬

安仁神社(岡山県)

安仁神社〜備前國総鎮守の看板 神社の入口、左に駐車場

安仁神社(岡山県)

安仁神社〜御朱印

安仁神社(岡山県)

安仁神社〜一ノ鳥居

安仁神社(岡山県)

安仁神社〜ニノ鳥居

安仁神社(岡山県)

安仁神社〜随神門

安仁神社(岡山県)

安仁神社〜参道を通り鳥居も抜け石段を登ると境内に正面に拝殿が見える

安仁神社(岡山県)

安仁神社〜絵馬

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歴史

当社の創立年月日は不詳である。
「続日本後紀」の承和8年(841)2月8日の条に『安仁神預名神焉(あにのかみみょうじんにあづかる)』とあるのが初見で、「延喜式神名帳」に備前国名神大社とある。
古くは「兄神社」又は「久方宮(ひさかたのみや)」と称したとも伝えられている。
御祭神は五瀬命・稲氷命・御毛沼命等である。
この社地は、宮城山(みやしろやま)、別名鶴山といい、元宮は標高80メートル位の頂上にあった。
その後、備前藩主池田家の祈願所として現在の地に鎮座した。
明治4年国幣中社に列せられ勅使の御参向があった。
大正15年皇太子殿下が行啓され、祈年祭・新嘗祭・例大祭には幣帛供進使の参向などがあり、戦前(大東亜戦争まで)は荘厳で隆盛な神域であった。
昔はこの鶴山の麓まで海であり、入江の奥の良港だった。後方の山には磐座や列石があり、古代の祭祀跡と見られるところに、神武東征の船の「ともづな」を掛けたといわれる「綱掛石神社」などがある。
『古事記』『日本書紀』の神話や明治期に古記録を再編纂した『安仁神社誌』によると、 末弟の若御毛沼命(わかみけぬのみこと、後の神武天皇)と共に、日向国(現在の宮崎県)から大和国(奈良県)へと東進する途中に神社近在へ数年間滞在される。 この時に地域住民に稲作や機織りなどの殖産事業を大いに奨励された。後年、難波津(大阪湾)での対抗勢力との戦いでの傷が致命傷となり、 体制を立て直すためにたどり着いた木国(きのくに、和歌山県)でついに薨去(落命)された。
神武天皇即位後、皇兄の産業奨励を顕彰して「兄を祭る神社」、安仁神社が創建された。

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安仁神社の基本情報

住所岡山県岡山市西大寺一宮895
行き方

JR赤穂線「西大寺」下車後、両備バス「西大寺駅前」→「宿毛」下車後、徒歩20分

アクセスを詳しく見る
名称安仁神社
読み方あにじんじゃ
通称兄神社
参拝時間

社務所:09:00〜16:00

参拝にかかる時間

40分

参拝料

なし

トイレあり
御朱印あり

限定御朱印なし
御朱印の郵送対応なし

御朱印帳なし
電話番号086-946-1453
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。
ホームページhttps://www.anijinja.net/

詳細情報

ご祭神《主》五瀬命,《配》稲氷命,御毛沼命《合》大山咋命,大己貴命
本殿三間社流造
ご由緒

当社の創立年月日は不詳である。
「続日本後紀」の承和8年(841)2月8日の条に『安仁神預名神焉(あにのかみみょうじんにあづかる)』とあるのが初見で、「延喜式神名帳」に備前国名神大社とある。
古くは「兄神社」又は「久方宮(ひさかたのみや)」と称したとも伝えられている。
御祭神は五瀬命・稲氷命・御毛沼命等である。
この社地は、宮城山(みやしろやま)、別名鶴山といい、元宮は標高80メートル位の頂上にあった。
その後、備前藩主池田家の祈願所として現在の地に鎮座した。
明治4年国幣中社に列せられ勅使の御参向があった。
大正15年皇太子殿下が行啓され、祈年祭・新嘗祭・例大祭には幣帛供進使の参向などがあり、戦前(大東亜戦争まで)は荘厳で隆盛な神域であった。
昔はこの鶴山の麓まで海であり、入江の奥の良港だった。後方の山には磐座や列石があり、古代の祭祀跡と見られるところに、神武東征の船の「ともづな」を掛けたといわれる「綱掛石神社」などがある。
『古事記』『日本書紀』の神話や明治期に古記録を再編纂した『安仁神社誌』によると、 末弟の若御毛沼命(わかみけぬのみこと、後の神武天皇)と共に、日向国(現在の宮崎県)から大和国(奈良県)へと東進する途中に神社近在へ数年間滞在される。 この時に地域住民に稲作や機織りなどの殖産事業を大いに奨励された。後年、難波津(大阪湾)での対抗勢力との戦いでの傷が致命傷となり、 体制を立て直すためにたどり着いた木国(きのくに、和歌山県)でついに薨去(落命)された。
神武天皇即位後、皇兄の産業奨励を顕彰して「兄を祭る神社」、安仁神社が創建された。

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