わけじんじゃ
和氣神社(和気神社)のお参りの記録一覧(2ページ目)
アートなご朱印めぐりで訪れた神社⛩
鬼滅の刃のゆかりの場所とも言われているらしい😄 確かに狛イノシシは伊之助に良く似てる🐗
見所がたくさんある神社で イノシシさんがあちこちに居てカワイイ💕
ちょうど紅葉の見頃で 秋江園には神社を取り囲む山は紅葉2000本が生育していて とても神秘的で引き込まれそうな散歩道でした🥰
ご朱印もレースのご朱印や キラキラのホログラムのご朱印など ステキなご朱印ばかり🤩
日本一の藤公園らしいので またその時期に訪れたい😊
駐車場から見える神社の看板⛩
霞橋🌉
社頭を流れる日笠川に架かる橋で、一般に「俗界と聖界の境にある橋」とされる
橋を渡った所⛩
盛りだくさんの予感がして
ワクワク💓
大絵馬🐎
高さ8m、幅10mの日本一の大絵馬大絵馬‼️
中央にその年の干支を配し、回りは清麻呂公絵巻の絵画をめぐらしている🤔
狛いのしし🐗🐗
猪は清麻呂公の随身、また足腰の守護として崇められ、当社では狛犬がわりに「狛いのしし」が拝殿前・鳥居前で守護している
このイノシシの顔 確かに鬼滅の刃に出てくる伊之助に似ている🤔
随神門⛩
本殿、拝殿に続き、明治28年に造営された。随身の姿の守護神像を左右に安置した神社の門
清麻呂公石像
広虫姫石像
拝殿前の狛イノシシは 七五三にあやかって着物を着てたけど 雨模様のため ビニール袋をかぶってました😅
撫でイノシシ🐗
手前の小さいイノシシたちが
めっちゃカワイイ💕
秋江園🍁
神社を取り囲む山は紅葉2000本が生育しているらしい🍁
神秘的で 引き込まれるような
美しさ❣️
【令和四年七月二十四日参拝】和氣神社
倉敷駅から和気駅までは、乗換なしで行ける便があるので、和気駅まで電車で🚃
和気駅近くの和気町観光協会で、自転車をお借りして和氣神社さんへ…🚲(自転車で15分くらいで着きます)
第二の鳥居
和気神社とご利益看板
和気清麻呂公像
後ろからも📸
和気清麻呂公〜その人と業績〜の看板
祓所・東方遙拝所
随神門を抜けて少し上がった所の右側、宇佐神教の大きな石碑の後ろ側にひっそりとあります。
今回は祓所・東方遙拝所でお参りしてから本殿に向かいました。
拝殿に続く階段
拝殿に続く階段手前の左側に広虫姫様
和気広虫姫略伝
拝殿
拝殿の彫刻🐉
拝殿内に猪ちゃん🐗
これは、和氣神社さんのFacebookのトップ画の猪さんでしょうか❓
狛猪🐗右側
狛猪🐗左側
マスクは岡山レースさんから奉納された物
刺繍が素敵です💕
本殿
本殿の彫刻
撫で猪🐗前回のフォーメーション
そして、こちらが今回のフォーメーション
前回は、誰かが並べ替えたのかな❓
撫で猪の所にあった超ミニッ子サイズの猪ちゃん🐗は、おみくじの中に入ってる猪ちゃん🐗です🥰
撫で猪アップ
右側の親子猪🐗
左側の眠るウリ坊兄弟🐗
ベンチの上に簾で日陰を作ってくれてます。
暑いので、こちらで休ませて頂きました☺️
吊るされてる風鈴の音にも癒やされました💕
かわいらしい風鈴🎐
山の緑が美しく、境内の中を気持ちよく散歩できました🥰
和氣神社の案内看板を見ると…
春は桜と藤、秋は紅葉が美しそうなので、ちょこちょこお参りしたいですね😄
今回は、お散歩中、奉納されたカエルちゃん🐸を発見しました📸
最後に前回紹介しきれなかった絵馬殿の絵馬をどうぞ
令和四年七月二十一日参拝】
吉備の国 女神三社 神巡り ③ 和氣神社
女神三社 神巡りでは、各社それぞれの女神を象徴した三社が繋がる絵柄の切り絵御朱印を頒布してます。
初穂料(各社)1000円 300枚限定
私は倉敷に住んでいるので、阿智神社→岡山神社→和氣神社の順で参拝しました☺️
↑和氣神社の女神の切り絵御朱印です。
藤が有名なだけあって、御朱印の色も藤色です☺️
↑三社集めて専用台紙に貼ると、切り絵が繋がって、とっても華やかになります🥰
↑レース御朱印です🥰
とってもキレイなんですが、作ってる方は、色別に刺繍作業をされてるので、大変だそうです😅
作ってくれた方、ありがとうございます😄
受け取れて嬉しかったです💕大事にしますね🥰
レースの下は、神紋の桜🌸と和氣神社印と茅の輪の判子が押されてました😄
そうそう❗レースの御朱印帳が出てた時期がありましたけど、また出ますか❓と聞いてみた所…
今、考え中です☺️ 前回の色そのままの方が良いのか❓今度は色を変えて作ってみようか❓考えてまして😄と…
宮司さん🎶いつか再頒布お待ちしております🥰
和氣神社 第一の鳥居前⛩️
鳥居を前から📸
神社名の額です。
裏から見ると…額の裏側に神紋の桜🌸
橋を渡って…
第二の鳥居⛩️
大きな木もあります🌲
巨大絵馬 干支のトラ🐯
第二の鳥居⛩️
神社名の額が、カラフルです☺️
鳥居前の狛猪さんたち🐗🐗
随神門
随神は、御簾の中で見れませんでした。
やっと拝殿が見えました❗
拝殿です。
右側の狛猪🐗
左側の狛猪🐗
神紋の桜の瓦と彫刻
拝殿内
和氣神社の額
拝殿を右から📸
拝殿奥〜本殿を左から📸
本殿です。
本殿の瓦と彫刻
本殿の彫刻
由緒・御祭神
創祀
古くは和気氏一族の氏神として遠祖 鐸石別命(ぬでしわけのみこと)が祀られ、和気神と称せられていた。
天正19年(1591)に数町川下にあった社殿が大雨で流されたため、現在地に遷座した。
後に弟彦王(おとひこおう)、和気清麻呂公、和気広虫姫を祭神に加え、清麻呂公の高祖父佐波良(さわら)命、曽祖父伎波豆(きはず)命、祖父宿奈(すくな)命、父乎麻呂(おまろ)命を奉祀していた国造神社を合祀した。
和気氏由緒
第11代垂仁天皇の皇子 鐸石別命の曾孫である弟彦王は、神功皇后に反逆した忍熊王(おしくまおう)を和気関に滅ぼした功により、藤原県を与えられ土着した。
その弟彦王を祖先とする和気氏は備前・美作両国に栄え、その12代後裔が和気清麻呂公・和気広虫姫である。
御祭神
鐸石別命 第11代垂仁天皇の皇子で和気氏の始祖。
弟彦王 鐸石別命の曾孫で神功皇后の三韓征伐の際、反乱をおこした忍熊王を和気関で平定し藤野県(現岡山県和気郡)を与えられ土着した。
佐波良命・伎波豆命・宿奈命・乎麻呂命 和気氏の先祖で備前美作両国の国造。
国造神社として別に祀られていたが、のちに合祀された。
和気清麻呂公
天平5年(733)備前国藤野郡(現和気町)に生まれる。
奈良の都に武官として出仕、近衛将監となる。
神護景雲3年、清麻呂公37歳のとき、僧道鏡が、女帝の称徳天皇から特別深い寵愛を得て、太政大臣に、次いで法王となり、最後には天皇の位を望むようになった。
そこへ、九州大宰府の主神(かんずかさ)習宜阿曽麻呂(すげのあそまろ)が朝廷に「道鏡が天皇の位につけば天下は太平となる」という宇佐八幡の神託をもたらしたのである。
天皇は驚き、神意を確かめるために清麻呂公を使いとした。
宇佐の神託
宇佐に到着し、神前に額ずく清麻呂公にもたらされた神託は、「我が国は開闢以来、君臣の分定まれり。臣を以って君と為すこと未だあらざるなり。天津日嗣は必ず皇緒を立てよ。無道の人は宜しく早く掃い除くべし。」
宇佐から帰京した清麻呂公は堂々と、この神託を言上したのである。
これは、政治の私物化に対する大抗議でもあった。
当時の大部分の人が道鏡への譲位に疑問をもっていたにも関わらず、左大臣以下だれも声にあげて反対することができなかった。
これに対し命をかけて抗議したのが清麻呂公ただ一人だったのである。
流 罪
これにより、清麻呂公は大隈国(現鹿児島県)に流罪となる。
大隈国に流される途中に、怒りおさまらぬ道鏡により放たれる刺客などに襲われるが、天変奇異に助けられ、また神の使いか「猪」に守護されながら、無事大隈国へと到着するのである。
帰京・平安京造営
2年後、称徳天皇の崩御により道鏡は失脚。
清麻呂公は許され、都に帰り本性本位に復する。
その後、桓武天皇の信頼を得て、摂津大夫・民部卿として、摂津・河内両国の治水工事に当たった。
延暦13年(794)清麻呂公の建言により平安京造営、自ら造営大夫として新京の建設に尽力した。
今の京都である。
日本の国体を揺るがす類を見ない危機に立ち向かった清麻呂公の行動・精神は、日本史上に一筋の光彩を放っている。
また、和気清麻呂公は、備前美作両国の国造を兼ね、延暦7年、和気郡の河西に新しく磐梨郡(現赤磐市)を独立させ、農民の便宜をはかった。
日本後紀には「人と為り高直にして、匪躬の節あり」「故郷を顧念して彼の窮民を憐れみ、忘るることあたはず」と称えられている。
延暦18年(799)に67歳で没した。
和気広虫姫
天平2年(730)に備前国藤野郡に生まれる。
高謙上皇(後、重祚して称徳天皇)に仕え、勅を伝宣する女官を務めた。
上皇に従い剃髪し、法均と号した。
天平宝字8年(764)、恵美押勝(藤原仲麻呂)の乱の逆徒の助命を懇願して死刑を流刑に改め、乱後の孤児83名を養子として育てた。
これはわが国最初の孤児院の開設である。
日本後紀には「人と為り貞順にして節操に欠くる無し」「未だ嘗めて法均の、他の過を語るを聞かず」と称えられ、慈悲深く、清純で心の広い人柄であった。
御神徳
足腰・健康の守護
道鏡事件で京を追われた清麻呂公は脚が萎えて歩けなくなりますが、霊泉で脚が治ったことから足腰の神と信仰されています。
安産(子供の守り神),合格・学業成就
広虫姫は戦乱などで孤児になった子供たちを養子として育て世に送り出しました。
また清麻呂公は子弟教育・人材育成に取り組まれ、私学校「弘文院」の基礎を築かれました。
福祉事業・学校教育の先駆けとして尊敬され、子供の守り神と敬われています。
厄除開運・災い除け
清麻呂公は史上稀にみる国難に立ち向かい、災いごとを祓い退けたことより、運を開き厄・災いを祓う神と信仰されています。
一願成就
一人一願を心を込めて参拝すれば、その願いは叶えられると言われ、崇敬されています。
土木建築
清麻呂公は「平安京」の造営をはじめ、摂津・河内の治水工事などに尽力されました。
〜和氣神社HP情報より~
手水舎
撫で猪🐗
奉納された絵が沢山ありましたが、全部は載せきれないので、今回はこちらだけ☺️
↑稲荷神社🦊
↑天神社
天神社の彫刻
↑確か豊受大神が祀られてるお社だったと思います。
豊受大神のお社の彫刻
↑猿田彦神社
猿田彦神社の額
帰りに祓所・東方遙拝所に気付きました💦
随神門をくぐってちょっと上がった所の右側にあります。
行きに、祓い清めてからお参りした方が良かったかな❓
次回宮司さんに聞いてみます。
今回は、和気駅までは電車で…和気町観光協会で自転車を借りて参拝しました😄
観光協会から自転車で15分くらいで和氣神社に着きます🚲
周りには、他にも神社やお寺があるので、自転車参拝オススメです😄
和気神社にお詣りしてきました。最近ポケモンGOにハマっているせいか、あちこちにポケモンが…
駐車場から見た和気神社
参道からの鳥居
鳥居
かすみ橋
降り続いた雨で濁ってます。
和気清麻呂公の像
説明書
大きな絵馬
俺も撮ってくれとレシラムが…
橋の欄干に…
イーブイ邪魔…
和気神社はイノシンにゆかりのある神社で、狛犬の代わりにイノシンがいます。
ここにもグレイシア
『さざれ石』君が代に出てくる石だそうです。初めて見た
さざれ石の説明書
仲間と思って出てきたのか?
ウソッキー…バレてるバレてる
拝殿
拝殿横にもイノシンがいました。
ここにも居ました
手水舎
『水みくじ』水をかけると文字が浮かび上がるというおみくじ。小吉でした。
あまり良いことは書かれていなかったのですが、このあと本当に…
和気神社の御朱印。ホログラフです。切り絵も考えたのですが。
実は、普通の御朱印を直書きしてもらいたかったのですが、ちょうど宮司さんが用事で居なくなってしまって、書いてもらえませんでした。一緒に行った息子は先に書いてもらっていました。マジか…
和気清麻呂公をご祭神とする神社さんです。
清麻呂公の時代は「中国カブレ全盛」でした。中国の皇帝は先帝の徳を引き継ぐということで基本世襲ですが、そうでなければ徳のある人物に位を譲る「禅譲」と徳のない君主を武力で追放する「放伐」がありました。
当時の日本でもなんでも中国風にしていて、さらにそのせいで弓削道鏡(禅譲)と恵美押勝(放伐)の2人によって中国のように天皇家の血統が公式に変わる可能性がありました。
歴史上は「宇佐神宮の神託」となっていますが、事実だけ見れば神様がしゃべるわけはありません。事実をそのまま受け止めるとして、もし清麻呂公が称徳天皇の意向に素直に従っていたら、日本史は大きく変わっていたと思います。恵美押勝の反乱が成功していても変わっていたと思います。
日本の歴史は中国やインドの思想や信仰を抜きにしては全体像が見えません。神社・仏閣・史跡めぐりしながら勉強しつつ、やっとそういう流れを掴めるような感じになってきました。
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