きびつひこじんじゃ
吉備津彦神社岡山県 備前一宮駅
開門午前6時 閉門午後6時
授与所受付 午前8時30分~午後5時
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楽しみ方御朱印 (1種類)
吉備津彦神社の御朱印は1種類です。
吉備津彦神社の御朱印
真ん中に「吉備津彦神社」と墨書きされています。
右から「備前國一宮」の印、真ん中に御神紋の五七桐と菊紋の印、「吉備津彦神社」印が押されています。

早朝よりたっぷり1時間、参拝と散策。1社目なのでまだ余力はあります。社務所が開く迄どうしようか思案していたら、時間前に対応して頂きました。桃太郎みくじ一式も、中々来ることは出来ないので買ってしまった。
昭和八年(1933)建立の社号標
備前焼の狛犬
鳥居
境内案内図
燈籠
神池
参道
燈籠
注連柱
境内社 鶴島神社
注連柱
境内社 亀島神社
環状列石
神池
手水舎
元禄十年丁丑(1697)奉納の手水盤
安政六己未年(1859)奉納の燈籠(市重要文化財)
随身門(市重要文化)
由緒書
石段
狛犬
平安杉
拝殿(県重要文化財)
拝殿側面
釣殿(県重要文化財)
軒廊(県重要文化財)
神饌所
渡殿(県重要文化財)
渡殿
本殿(県重要文化財)
境内社 楽御崎神社
境内社 岩山神社
境内社 尺御崎神社
中門(市重要文化財)
境内社鳥居
享保十三戊申年(1728)奉納の燈籠
境内社鳥居
境内社鳥居
石段
境内社 稲荷神社
山頂へ続く登山道 龍神社が鎮座しています
境内社 卜方神社
百度石
境内社 温羅神社
境内社 十柱神社
境内社 牛馬神社
境内社 祖霊社
忠魂碑
手水鉢
注連柱
「大吉備津彦命薨去之地」石碑
注連柱
境内社 楽御崎神社
境内社 尺御崎神社
子安神社由緒書
明治三十四年(1901)建立の注連柱
さざれ石
燈籠
境内社鳥居
天満宮由緒書
注連柱
境内社 天満宮
石段
境内 子安神社拝殿
子安神社本殿(市重要文化財)
境内社 下宮
境内社 伊勢宮
境内社 辛神社
境内社 鯉喰神社
境内社 矢喰神社
境内社 板樹神社
境内社 祓神社

備前国一宮の吉備津彦神社にあがらせていただきました。
岡山駅近くに行ったらここは絶対お参りしようと決めていました。
吉備津彦神社には8時過ぎに到着。
まだ誰もいらっしゃらないかな?と思っていたら駐車場には既に数台停まっていて、境内にも数名の参拝者がちらほら。
それにしても朝早い時間の神社、それも一宮の空気は本当に清々しいですね。
まずは立派な拝殿に感動しつつもご挨拶と感謝の気持ちをお伝えし、そしてこの日の交通安全を願いながら一礼。
そうこうしている間に社務所が開いているようだったので御朱印をいただくことに。
書き手の方に「ご本殿もぜひ近くでご覧になってください」とのことで、まずは授与所から本殿方向へ進むと、神饌所の前まで進むことができます。
そこから渡殿や本殿を望むことができ、重厚感と厳かな感じにしばらく呆然としてしまいました😅
<御祭神>
主祭神:大吉備津日子命
相殿神:吉備津彦命 孝霊天皇 孝元天皇
開化天皇 崇神天皇 彦刺肩別命
天足彦國押人命 大倭迹々日百襲比賣命
大倭迹々日稚屋比賣命 金山彦大神
大山咋大神
<御由緒>~吉備津彦神社HPより~
桃太郎伝説と神楽・備前刀のふるさとの一宮の吉備津彦神社は「吉備の中山」の麓に鎮座する。ご祭神は「桃太郎」のモデルとしても有名な大吉備津日子命。大和朝廷の命により吉備の国を平定したといわれ、吉備の国を治めた屋敷跡にご社殿が建てられたのが当神社の始まりとされている。平安時代より代々の国司に崇敬され、皇室を始め旧岡山藩主池田家のご信仰篤く、境内には輝武命(池田信輝公)と火星輝命(池田輝政公)をお祀りしています。
鳥居前の狛犬さん
神池の亀島方向
参道の反対側には鶴島があります
随神門
境内側から見た随神門
手水舎
桃太郎さん
拝殿
拝殿前の狛犬さん
拝殿前の御神木「平安杉」
本殿と渡殿
本殿
本殿がある神域内の向かって左側にある楽御崎神社(楽々与理彦命)
本殿 向かって右側から
本殿がある神域内の向かって右側にある楽御崎神社(楽々森彦命)
大燈籠

岡山市北区にある神社です。
備前国一宮です。
参拝者の車が1台も停まっていない駐車場に車を停め まずは正面大鳥居から写真を撮っていました。
隋神門より手前に境内社が2つありました。
ここも境内社多いんかぁと思いながら隋神門をくぐり 手水舎で手を洗おうとしたら 桃太郎さんご一行と出会いました。
一つ一つ写真に収めたのですが かわいらしいでしょ。
拝殿を見ると 何人かいらっしゃいました。
まだ参拝者いるんやなぁと思って横を見ると 社務所にも人がいらっしゃいます。
おおぉぉ まだ御朱印を受け付けていらっしゃるではないですか。
失礼ながら 本殿でのお参りより先に御朱印を拝受してしまいました。
諦めていたのでとても嬉しかったです。気分を良くして境内を巡りました。
とても立派な拝殿でお参りしてから裏に回ろうとしてびっくりしました。
普通なら拝殿の奥には本殿があると思っていたのですが 四重構造になっていました。
三間社流造というのだそうですが 拝殿と本殿の間に 渡殿と釣殿というのがありました。
それも かなり立派な建物です。これはじっくり観たいところでしたが もうそろそろ時間切れ。
こちらも境内社が本当に多いです。きっと撮り残しがあります。
吉備津彦神社とても素晴らしいです。また来るぞと思いました。
ネット情報です。
備前国と備中国の境に立つ吉備の中山(標高175m)の北東麓に東面して鎮座する。
吉備の中山は古来より神体山として信仰されており 北西麓には備中国一宮・吉備津神社が鎮座する。
当社と吉備津神社とも 当地を治めたとされる大吉備津彦命を主祭神に祀り 命の関係一族を配祀する。
大化の改新を経て吉備国が備前・備中・備後に分割されたのち 備前国一宮として崇敬された。
中世以後は 宇喜多氏 小早川秀秋 池田氏など歴代領主の崇敬を受けた。
祭神は次の12柱。
主祭神は大吉備津彦命(おおきびつひこのみこと)です。
相殿神は 吉備津彦命(若日子建吉備津彦命)・孝霊天皇( 第7代天皇)・孝元天皇( 第8代天皇)・開化天皇( 第9代天皇)・崇神天皇( 第10代天皇)・彦刺肩別命(ひこさしかたわけのみこと)・天足彦国押人命(あまたらしひこくにおしひとのみこと)・大倭迹々日百襲比売命(おおやまとととひももそひめのみこと)・大倭迹々日稚屋比売命(おおやまとととひわかやひめのみこと)・金山彦大神・大山咋大神です。
社伝では推古天皇の時代に創建されたとするが 初見の記事は平安後期である。
神体山と仰がれる吉備の中山の裾の 大吉備津彦命の住居跡に社殿が創建されたのが起源と考えられている。
末社はウィキペディアに載っていますが 本当に多いので割愛させていただきます。
正面大鳥居
社号の石柱
境内案内図
赤い狛犬
香川にもあったなぁ 赤
境内社 霧島神社
境内社 亀島神社
太鼓橋?
隋神門
手水舎 かわいらしいお人形が
桃太郎でしょ
猿でしょ
犬でしょ
雉でしょ
赤鬼笑ってるし
おじいさんと
おばあさんと
桃! これでフルラインナップ
拝殿 まだ参拝者いるやん
おおぉ ご朱印まだやっとる
渡殿
本殿
境内社 楽御崎神社と岩山神社
左が渡殿で 右が本殿 この造りは初めて見ました
境内社 楽御崎神社
境内社 尺御崎神社
拝殿北側に門がありました
摂社 子安神社の由緒書
子安神社の鳥居
拝殿
本殿
子安神社社殿の由緒書
摂社 天満宮の由緒書
境内社 下宮
境内社 伊勢宮
境内社 幸神社
境内社 鯉喰神社
境内社 矢喰神社
境内社 坂樹神社
境内社 祓神社
さざれ石
古代より背後の吉備の中山に巨大な天津磐座(神を祭る石)磐境(神域を示す列石)を有し、山全体が神の山として崇敬されてきました。第10代崇神天皇の御世に 四道将軍 として遣わされた大吉備津彦命もこの山に祈り 吉備の国 を平定し、現人神として崇められました。諸民と国を深く愛し、永住された吉備中山の麓の屋敷跡に社殿が建てられたのが当神社のはじまりとなります。
歴史をもっと見る|| 住所 | 岡山県岡山市北区一宮1043 |
|---|---|
| 行き方 | 〖電車〗
〖車〗
山陽自動車道 岡山ICから国道53号線を岡山市街方面へ約2㎞、津島京町の交差点を右折、180号線を総社方面へ3.5㎞、吉備津彦神社前交差点を左折。 岡山自動車道 総社ICから国道180号線を岡山市街方面へ約8㎞、吉備津彦神社前交差点を右折。 |
| 名称 | 吉備津彦神社 |
|---|---|
| 読み方 | きびつひこじんじゃ |
| 通称 | 吉備津宮 |
| 参拝時間 | 開門午前6時 閉門午後6時
|
| 参拝にかかる時間 | 1時間 |
| 参拝料 | なし |
| トイレ | あり |
| 御朱印 | あり |
| 限定御朱印 | あり |
| 御朱印帳に直書き | あり |
| 御朱印の郵送対応 | なし |
| 御朱印帳 | あり |
| 電話番号 | 086-284-0031 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
| ホームページ | http://www.kibitsuhiko.or.jp/ |
| おみくじ | あり |
| お守り | あり |
| 絵馬 | あり |
| SNS |
| 日本全国の一宮まとめ |
|---|
| ご祭神 | 《主祭神》 大吉備津日子大神 《配祀神》 吉備津彦命 孝霊天皇 孝元天皇 開化天皇 崇神天皇 天足彦国押人命 大倭迹迹日百襲比売命 大倭迹迹稚屋比売命 金山彦命 大山咋命 日子刺肩別命 |
|---|---|
| ご由緒 | 古代より背後の吉備の中山に巨大な天津磐座(神を祭る石)磐境(神域を示す列石)を有し、山全体が神の山として崇敬されてきました。第10代崇神天皇の御世に 四道将軍 として遣わされた大吉備津彦命もこの山に祈り 吉備の国 を平定し、現人神として崇められました。諸民と国を深く愛し、永住された吉備中山の麓の屋敷跡に社殿が建てられたのが当神社のはじまりとなります。 |
| ご利益 | 縁結び・恋愛成就病気平癒交通安全家内安全勝負運 |
| 体験 | 祈祷おみくじお宮参り絵馬七五三御朱印お守り重要文化財祭り武将・サムライ札所・七福神巡り一の宮伝説 |
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