きびつじんじゃ
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楽しみ方吉備津神社のお参りの記録一覧
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備中国一宮の吉備津神社にあがらせていただきました。
先日投稿した備前国一宮・吉備津彦神社からは車で5分もかからないほどの近くに鎮座しています。
正直、こんな近くに備中国と備前国の一宮があるのは驚きました。
こちらに到着したのは朝9時前でしたが、既に駐車場には20台位は停まっていたでしょうか。
もう少しあとになると多くの方で賑わうのでしょうが、その前に参拝できてよかったです。
広い境内をゆっくりと参拝したいところだったのですが、この日はさらに大移動を予定。
そのため全てをまわることができず慌ただしい参拝となったことをお詫びしつつ、またいつの日かゆっくりとお参りさせていただきたいと思いました。
慌ただしい参拝と言いつつ、こちらの本殿・拝殿は国宝に指定されているということで、しっかりと目に焼き付けてきました。
いただいたパンフレットによると、
『社殿の造営は、社伝によれば、仁徳天皇が五社の社殿と72の末社を建立した事に始まるとされます。
度々焼失しましたが、明徳元年(1390)後光厳天皇の勅命により、室町幕府三代将軍の足利義満が再興に着手し、応永32年(1425)12月29日に現在の社殿が落成しました。
その建築様式を「比翼入母屋造」と云い、全国でも当社だけの様式ですので「吉備津造」とも称されております。』
とのこと。
全長360mの回廊や御竈殿、さらにあじさい園や梅林、ぼたん園など季節によっても見どころ満載なので、絶対にまたお参りしたいですね。
あじさいの頃に来れたらいいなぁ。


岡山市北区にある神社です。
前回お参りした際 御朱印を拝受できる時刻を過ぎてしまっていたため 再び訪れました。
由緒などは割愛させていただきます。
本殿でのお参りをすませ 授与所と社務所へ。
お守りやお札や絵馬 授与品の数がとても多いです。
御朱印は 本殿及び拝殿再建600年記念復刻御朱印を拝受しました。
「当時の趣旨に従い、お名前を記帳致します。そして、申込書記入の貴名はご本殿内に奉安します。永く神のご加護があることでしょう。今年だけの限定ご朱印ですので、どうぞお受けください。」
名前の部分を隠して載せていますので ちょっと変に見えるかも知れません。
紙質も違いますし これは拝受せずにはおれませんね。(数量限定です)
絵馬を見ていると 関根勤さんと娘さんがお願い事をされていました。
日にちを見ると 前回私がお参りした日でした。
すれ違っていない~~~残念。
本殿横には 夏越大祓式の準備で茅の輪が置かれていました。
もちろんくぐってきました。
今回も岡山旅は素晴らしい。時間かかるけど。

岡山市北区にある神社です。
吉備津彦神社と同様 とても有名な神社です。
16時を過ぎていて ご朱印は諦めてはいましたが 拝観はまだできると聞きましたので せっかく岡山まで来てお参りしないのは我慢できないとお参りしました。
駐車場に車を停めたのですが 目の前でお土産屋さんが店を閉めます。ほんまに大丈夫か?
北側の入口から石段を上がりました。
すぐに拝殿と本殿で 遅れてしまったことをお詫びしつつお願いも一つ。
参拝者はまあまあいらっしゃるのですが 社務所はもちろん無人になっていました。
本殿から本宮社まで 廻廊が境内を南北につないでいます。
300mぐらいかな その間に 御釜殿・御供殿や 摂末社がありました。
どちらも興味深く観させていただきましたが 他の参拝者が喋っている言葉がおそらく中国語でした。
すごいですね。京都や奈良の寺社なら納得ですが こちら岡山市で けっこう時間外の参拝です。
途中 ウェディングフォトを撮っておられる方がいらっしゃいました。
よくよく見ると 女性は日本の人でしたが 男性はアジア系の外国の方でした。
混雑する時間をはずしての撮影なのでしょうね。
参拝そのものは大満足でしたが ご朱印や拝受品を入手できなかったので またお参りします。
ネット情報です。
備中国一宮です。
岡山市西部 備前国と備中国の境の吉備中山の北西麓に北面して鎮座する。
吉備中山は古来神体山とされ 北東麓には備前国一宮・吉備津彦神社が鎮座する。
当社と吉備津彦神社とも 主祭神に 当地を治めたとされる大吉備津彦命を祀り 命の一族を配祀する。
すごいです 山の東西にそれぞれ一宮を鎮座する山なんですね。
本来は吉備国の総鎮守であったが 吉備国の三国への分割により備中国の一宮とされ 分霊が備前国・備後国の一宮(備前:吉備津彦神社 備後:吉備津神社)となったとされる。
このことから備中の吉備津神社は「吉備総鎮守」「三備一宮」を名乗る。
当地出身の政治家犬養毅は 犬養家遠祖の犬飼健命が大吉備津彦命の随神であるとして 吉備津神社を崇敬したという。
祭神は次の9柱。
主祭神は大吉備津彦命(おおきびつひこのみこと)です。
相殿神は百田弓矢比売命(大吉備津彦命の后)・御友別命(大吉備津彦命の子孫)・仲彦命(大吉備津彦命の子孫)・千々速比売命(大吉備津彦命の姉)・倭迹迹日百襲姫命(大吉備津彦命の姉)・日子刺肩別命(大吉備津彦命の兄)・倭迹迹日稚屋媛命(大吉備津彦命の妹)・彦寤間命(大吉備津彦命の弟)・若日子建吉備津日子命(大吉備津彦命の弟)です。
社伝によれば 祭神の大吉備津彦命は吉備中山の麓の茅葺宮に住み 281歳で亡くなって山頂に葬られたという。
吉備津神社の創建については 仁徳天皇が大吉備津彦命の功績を称えて創建したとの説がある一方 社伝では5代目の子孫の加夜臣奈留美命が茅葺宮に社殿を造営し 命を祀ったのが始まりであるとする。
平安時代初期に朝廷から封戸が当てられ 寄進地を加えながら社地は拡大し やがて権門に寄進されて荘園化した。
鎌倉時代初期になると仁和寺に寄進されてその所領となったが 南北朝時代には争乱により仁和寺の支配も脅かされた。
さらに応仁の乱以降は備中国守護の細川氏や在地勢力の松田氏らに社領が支配されることもあった。
戦国時代末期には毛利氏の勢力が及んで清水宗治らが実質的に支配した。
さらに豊臣秀吉による国内統一後は宇喜田秀家領となって社領の寄進を受けた。
なお 仁和寺との支配関係も近世初期まで継続し 特に祭祀面で影響を受けていた。
有名人の名前が出てきますね。
江戸時代には 三重塔など仏教施設もありましたが 神社内の社家方と社僧方の間で相論となり 寺社奉行の判決で社家方が本願を管理することを認められました。
享保期以降の境内図からは三重塔などの仏教建築物がなくなっており この時期に神仏分離が完成したとみられている。


倉敷から広島に戻り、翌日は岡山です。なので、吉備津神社に参拝しました。
国宝の本殿拝殿は当然のように素晴らしく、回廊も見事です。
御朱印は数種類あり、迷った挙句、直書きとあじさいの季節限定書き置き、さらに御竈殿書き置きそれぞれ300円と本殿拝殿再建600年記念特別御朱印書き置き1000 円をいただいたのですが、どーしてもえびす宮のカラフルな御朱印が気になり…いただきました。書き置き1000円。そうしたら復刻御朱印1000円も…ということでいただける御朱印、全ていただきました。
御朱印は御朱印帳を預け、仕上がったら番号が表示される、マックみたいなシステム。なので、待ち時間にいろいろ見て回れます。
駐車場が有料になっていました。ご注意を。




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