にほんだいいちくまのじんじゃ
日本第一熊野神社のお参りの記録一覧
伊邪那美命様にお参りしたくて倉敷市林に鎮座する熊野神社に来ました。和歌山の熊野大社と類似して社殿が並ぶ形式になっています。それを 前から見ても 横から見ても 本当に美しくて、手を合わせ歩く度に嬉しくなってきます。力強い気を感じます。裏手の末社の辺りもやはり強い気が流れている気がします。大変古くから人々の尊崇を集めているのでしょう。大きなエネルギーを感じながら イザナミ様に日々の守護のお礼を言うことができました。大好きになりました。また来ます。
御祭神:★伊邪那美神 ★伊邪奈岐神 ★家都御子神 ★速玉之男神
本殿
本殿
本殿
本殿
拝殿
摂社:八尾羅稲荷神社
摂社:八尾羅稲荷神社
摂社をお参りして振り返った景色
8本の尾を持つキツネが飾られています。神様の使いでしょうか。
末社
末社
末社
末社
末社
末社
末社
狛犬
狛犬
お守りの売店(無人)
お守りの売店
蘇りの橋
由緒
手水舎
一の鳥居
本荘八幡宮から備中国分寺への移動中にあり2度目の参拝。
1492年建築の第二殿が重文指定されている。
明治の神仏分離で熊野神社と五流尊瀧院に分かれた。
境内右手にある三重塔が目を引くが、これは現在は五流尊瀧院の所属である。
本殿
第1殿
第1殿・第3殿
第2殿
第2殿・第4殿・第5殿
第6殿
八尾羅稲荷神社
三重塔(五流尊瀧院)
三重塔(五流尊瀧院)
鐘楼(五流尊瀧院)
【令和四年八月二十九日参拝】日本第一熊野神社
西暦六三四年、役行者(役小角)は茅原(ちはら)の里、奈良県南葛城郡葛城村に生まれ、当時の仏教とは違い、直接、民衆を救い、自分も修行をしていくという宗教観を持っていました。
紀州、熊野大峯の山々で修行を重ね、修験道の開祖となりました。
ところが、役行者が民衆を惑わすという罪で伊豆大島に流され、高弟たちは紀州熊野の十二社権現の御神宝を奉じて瀬戸内海に逃れ、四国九州に浄域を求めた後、児島の柘榴浜に上陸し、熊野道といわれている山道を通り、大宝元年(701)三月三日、福岡の里と呼ばれていたこの地に鎮座祭典をし、それが、現在の春のお祭り(五月十八・十九日)です。
天平十二年(740)、聖武天皇は児島一円を本宮の御神領として寄進しました。
現在地に社殿を建立したのが始まりです。
孝謙天皇紀(749-758)には、紀州熊野権現に対して日本第一の称が与えられ、当社もその号を称することになりました。
承久の乱(1221年)に敗れた後鳥羽上皇は、隠岐に配流され、その第四皇子で、鎌倉幕府第四将軍になる候補であった冷泉宮頼仁親王は、この地に配流されました。
また、弟の桜井宮覚仁親王は乱を恐れ、この地に赴任し尊瀧院の住職となりました。
公卿山伏といわれる由縁です。
応仁の乱(1469)で開幕となった戦国時代の兵火のため、社殿をことごとく焼失してしまいました。
明応元年(1492年)、社殿は天誉長老により再建されました。
国の重要文化財に指定されている第二殿が、その時建立されたものだといわれています。
以後、復興を見ますが、次第に社領は減少し、中国管領大内義興、毛利家父子の守護を受けましたが、児島一円の領地はわずか三ヵ村に減ってしまいます。
西暦1600年代半ば、池田光政公により、吉備津彦神社の大守家から神官が赴任され、祭祀を専らにさせるなど、あつい保護の下に明治に至りました。
慶応四年三月(1868)、神仏分離(神仏判然令)により、現在は、宗教法人熊野神社、宗教法人修験道五流尊瀧院と呼ばれています。
平成十五年(2003)九月二十一日、所有の熊野神社長床拝殿を焼失しましたが、五流尊瀧院の寛大な配慮により、再度、氏子や近在の崇敬者により拝殿が再建されました。
熊野神社御祭神
主祭神 伊邪那美命イザナミノミコト
伊邪那岐命イザナギノミコト
速玉男命ハヤタマノオノミコト
事解男命コトサカノオノミコト
天照大神アマテラスオオミカミ
忍穂耳命オシホミミノミコト
瓊々杵命ニニギノミコト
彦火々出見命ヒコホホデミノミコト
葺不合命ウガヤフキアエズノミコト
稚産霊命ワカムスビノミコト
埴山比賣命ハニヤマヒメノミコト
罔象女命ミズハノメノミコト
軻遇突智命カグツチノミコト
境内神社御祭神
火産霊命
素戔鳴命
家津御子大神
大綿津見神
市杵島姫命
倉稲魂命
〜日本第一熊野神社HPより〜
日本第一熊野神社で頂ける御朱印は、日本第一熊野神社と八尾羅宮のニ種類です。
狛犬さん
入口
入り口付近の手水舎
亀さんがいます🐢
前からこの子に会いたくて❤️来れて良かったです🥰
名残惜しいけど、先に進みます❗
すると、狛犬さんと、立派な社殿が見えてきました❗
備前焼の狛犬さんたち
すぐ近くには拝殿があります。
地元の方から聞いた話によると…赤い第二殿からお参りし→第一殿→第三殿と進んで、裏のお宮を順番にぐるりとお参りして→また表に出たら、第六殿→第五殿→第四殿と順にお参りして、最後にまた第二殿でお参りするそうです。
↑昔のお殿様は、そうやってお参りしてたらしいです☺️
では第二殿から…
色鮮やかで✨キレイな社殿ですね✨
第一殿
第二殿
裏の八尾羅宮へ…
八尾羅宮はっぴらぐうは昔から商売繁盛、いじめ除けの神として信仰されて来ました。
是非一度ご参拝ください。(毎月月例祭を執り行っております。)
解説文より
霊神たるにより寛文七年五月藩主池田光政公が稲川長秀、西村伯明の奉行に命じ勧請建立、其の後再建したものである。
創立は不詳なれど古老によると児島が島だった頃、狐などによる農作物の被害が多大で氏子の人達が熊野神社に祈願したところ、神社の西に祠を建てれば、狐達ここに集いて田を荒らさなくなるとのお告げありて、現在の八尾羅宮はっぴらぐうを建立す。
ただちに被害少なくなり、集まりし狐達はお礼に熊野神社の護り動物となる。
氏子の人農作物は豊かになり護国豊穣の神と崇める。
後に火災除け、嫁いびり防止、との信仰深く多くの人集まる。
ところが正徳二年に岡山藩主池田綱政は、お蔭多きは人心を惑わすものとし、大多羅寄宮に移転、統合す。
しばし信仰できなかったものの、明治時代に再び現地に帰り祀られる。
現在は金運増大、資格・入学合格成就、また限界打破、八方破り、いじめ除けの神様として遠方からも参詣の人有り。
〜日本第一熊野神社HPより〜
拝殿です。
㊤八尾羅宮の額
㊥拝殿に飾られていた狐の絵🦊
㊦㊧絵馬
㊦㊨拝殿前床にありました。
八尾羅宮本殿
↓八尾羅宮横の足場から、社殿裏を見渡せるのを発見❗一旦お参りから離脱して、社殿裏を見学。
第三殿
第一殿
第二殿
第五殿・第四殿
第六殿
しっかりと裏側まで見させて頂きました😁
足場を降りて、お参りに戻ります。
社殿の裏側にある境内社
近くに池もあり、鯉が泳いでました🐟
池に赤トンボも遊びに来てました😲
第六殿
第五殿
第四殿
第二殿に戻って来たので、再度お参りして、お参り終了です😄
お守り・御朱印は、神社の定休日でも、無人の授与所で購入できます。
うっかり定休日に行ってしまいましたが、助かりました😁💦
お守りの種類が細かいですね。
頭の先から足の先までありそう😲
八尾羅宮の割札とお守り
↑絵馬を購入する方は、絵柄が素敵過ぎて、どれにしようか迷うでしょうね☺️
倉敷帆布の御朱印帳
↑こんな風に書き置きを置いて下さってました。
もちろんニ種類の御朱印両方とも購入させて頂きました🥰
石鹸もあったので、妹へのお土産と自宅用に購入❤️
両替機も備え付けられていたので、丁度の金額でお支払いできて、便利でした😄
外に出ると、近くの五流尊瀧院の三重塔から、カラスの鳴き声が…
見えないとは思いますが、なんと塔の天辺で鳴いてました。
そして、こちらの上を旋回してました😄
カラスちゃん、これを見せたかったんやね🥰
ありがとう❗ちゃんとカメラで撮れましたよ📸
境内の百合ももう終わりかけでしたが、キレイに咲いていて癒やされました🥰
素敵なお宮さんなので、またゆっくりとお参りしたいと思います😄
初めて伺いました。
友達が耳の手術をするのと、家族の病気のためにお守りをいただきに行きました。
お守りはPayPayでの支払いも可能でした。
御朱印とお守り
お守りの種類
お守り売り場
物忘防止 失物防止 シール
和歌山の熊野本宮大社と似た形式で、こちらの御本殿は六殿まであり第二殿(本殿)は国の重要文化財になっています。
こちらのお守りは頭、髪、皮膚、心臓、リンパ、血液、骨、血圧、アレルギーなど部位ごとの「からだ守り」が57種類あります。
御朱印は月替わりで境内に咲く花の挿絵が入った御朱印が頂けますよ🤗
日本第一熊野神社 境内にある八尾羅宮(はっぴらぐう)⛩
日本唯一のいじめ除けのお稲荷さんです。
初めて御参りしました。コロナ対策のため柄杓は置いていませんでした。
御朱印は無人販売所に御守りと一緒に書き置きが置いてあります。いまならもれなく『忘れ物防止シール』が付いてきます。早速カバンに貼りました。
熊野神社の御朱印です。稲穂の絵が書いてありました。
御朱印と一緒に置いてあるシールです。大と小の二枚セットでした。大といっても3センチぐらいです。
柄杓はありません。
拝殿です。
迫力のある三重塔
なんか圧巻!
明けましておめでとうございます㊗️
昨年のお参り納めで、熊野神社へ。
正月限定(50名限定)ご朱印を頂きに参りました。
熊野神社の年末年始は初めてだったので、余裕を持って行ったら、22時過ぎには到着。
…早過ぎた…。
でも、無事に限定ご朱印頂けました。
八尾羅宮のご朱印も頂きました!
夜の社
八尾羅宮のご朱印 書置き
正月限定ご朱印 ネズミ 書置き
正月限定ご朱印 初日の出 書置き
日本第一とは何かと思うわけですが、700年ごろ紀州熊野本宮を当地に遷座、西暦750年頃紀州熊野権現に対し時の天皇から日本第一の称が与えられ、当社もその号を称することとなったとの説明です。
近くの五龍尊瀧院は神仏分離で分かれましたが、敷地内には五龍尊瀧院の三重塔があります。
御守りは、体の部位ごとかなり細かく各々に用意されているのですが、同僚の脳の急病を聞いたことから、こちらで病気平癒を祈願するとともに、その部位の御守りをお送りしましたら、難しい手術を乗り越え、数か月後すっかり元気に職場に戻りました。
左側から第三殿、第一殿、第二殿、第四殿、第五殿、第六殿
五龍尊瀧院の三重塔
八尾羅宮(はっぴら宮)
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