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おきたじんじゃ

沖田神社のお参りの記録(1回目)
岡山県大多羅駅

投稿日:2025年09月13日(土) 17時22分48秒
参拝:2025年8月吉日
岡山市を流れる百間川沿いに鎮座する沖田神社にあがらせていただきました。
岡山で昼から用事があったので、朝早く自宅を出発し9時前に到着。
社務所が開く直前でしたがご近所の方でしょうか、ちらほらとお参りされている方もいらっしゃいました。

<御祭神>
 天照大御神 素戔嗚尊 軻遇槌命 
 倉稲魂命 句句廼智神 おきた姫

<御由緒>~岡山県神社庁より~
当社は備前国藩主池田綱政の時代に新しく開拓された沖新田の産土神として建立された。
沖新田の開墾は、岡山藩の藩政確立に大きな役割を果たした津田永忠が、綱政の命を受けて元禄5年(1692)年の正月11日に着工した。
その工事は迅速に進められ、驚くべき短期間で潮留め築堤・疎水・検地を終え、約2,000町歩の広大な新田が開かれた。元禄7年(1694)4月、沖新田全体の産土神として社を建立するため、京都の吉田殿(当時の神祇官)に見垣近江守を派遣し神の来臨を請願、同年5月23日に沖田神社の神宣が下された。
当初は御野郡(現在の岡山市福島)住吉宮に鎮座されていたが、元禄7年9月3日に、旧沖田神社(岡山市沖元宮地在の古宮)へ遷宮した。しかし境内の土地が低いため大風・高潮・洪水の被害を受け、拝殿にまでも水が入り込む事があったので、宝永6年(1709)現在の社地に移転した。
明治の廃藩置県後には郷社となり、大正12年5月25日に、県社に昇格した。


また境内には多くの末社があるのですが、その中でも道通宮という大きな末社が沖田神社本殿の西側に鎮座されています。
沖田神社HPによると、
「今から約400年前の天正10年(1582)6月4日、備中高松城主だった
清水長佐衛門尉宗治の次男長九朗が落城の際、敵のスキを伺って、逃走を試みました。
その途中で、かねてよく信仰する道通宮に、「首尾よく逃れさせ給らば我家末代に至るまで鎮守として奉祀する」
と祈願すると、たちまち霊験顕れ、 一匹の白蛇に守り導かれて、 浅口群西大島御滝山に、無事逃れる事ができたのでした。
以来道通宮を鎮守として祀り、その子孫は山麓に住居を構えて村民となりました。
4代の孫伝兵衛の代になって沖新田に転居し、名主として要職に就いたそうです。」
とのこと。

そのため道通宮に参拝する際のお供えは好物の生卵をお供えするのだとか。
道通宮の拝殿前にはお供え用の生卵が1つ50円で用意されていました。
沖田神社(岡山県)
沖田神社(岡山県)
沖田神社(岡山県)
沖田神社(岡山県)
沖田神社(岡山県)
沖田神社拝殿
沖田神社(岡山県)
沖田神社(岡山県)
沖田神社(岡山県)
沖田神社(岡山県)
道通宮鳥居
沖田神社(岡山県)
道通宮拝殿
沖田神社(岡山県)
沖田神社(岡山県)
お供え用の生卵
沖田神社(岡山県)
沖田神社本殿
沖田神社(岡山県)
稲荷神社
沖田神社(岡山県)
沖田姫神社
沖田神社(岡山県)
五社様
沖田神社(岡山県)
沖田神社 幣殿・本殿
沖田神社(岡山県)
胸形神社
沖田神社(岡山県)
境内の東側には多くの末社
沖田神社(岡山県)
沖田神社(岡山県)
沖田神社(岡山県)

すてき

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