しょうへいじ|天台宗.和宗|桧原山
御朱印・神社お寺の検索サイト楽しみ方
正平寺の御由緒・歴史
ご本尊 | 阿弥陀如来 | |
---|---|---|
創建時代 | 西暦587年 | |
開山・開基 | 釈正覚上人 | |
ご由緒 | 崇竣天皇御即位元年(西暦587年)釈正覚上人が初め犬ヶ岳に長福寺を創立し、その後寺を当山に移し一寺を建立したのが当寺の開創である。 天平勝宝四年(752年)勅願所と定められ、以来山を「桧原山」、寺を「正平寺」と称するようになった。安和二年(969年)大講堂が建立され、以来、国府の所管するところとなり、鎮護国家の祈願道場として豊前山岳仏教の修験霊場として英彦山・求菩提山と共に隆盛をきわめた。 大字中畑、福土の二村が寺領であったが、黒田氏中津城主の時(1587年)米百石を附して没収された。細川、小笠原氏を経て、奥平氏に至り、山上における全ての堂宇の営繕を負担され、奥平富之進昌高氏は天明七年(1787年)上宮本堂を建立された。 明治初年正平寺を本寺として九ヶ坊の末寺を有したが、明治維新の変革により山林全部を国有林に編入され、明治11年3月庫裡消失、同21年山火事により上宮本堂を焼失したため、石龕三宇を建立して本尊を安置している。明治23年宗達により大分県下一円福岡県京都郡と併せて天台宗務支所となった。 明治29年、又不幸にして大講堂・鐘楼・みこし三体・当寺縁起、その他宝物一切を焼失し、現在の講堂は明治35年に復興したものである。平成13年、県下最大の梵鐘が復興された。 県指定無形民俗文化財である「お田植祭」は神仏習合の名残をいまに伝える貴重な行事である。 |
歴史の写真一覧
最新の限定御朱印情報が届く!
御朱印メルマガを受け取ろう
利用開始をもって利用規約・プライバシーポリシーに
同意したものとみなします。
ホトカミで困ったこと、不具合のご報告はこちらから
お問い合わせ