浄土宗
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新善光寺について
二柱神社
新善光寺山門の南側にあり、鷲神社と秋葉神社を合祀して二柱神社としたものである。
鷲神社は、貞治元年(1362)に新善光寺遷座の時当時の寺僧感誓が寺の傍らに一社を建立し寺の鎮護神として勧請し、鷲神社と称した。津川四社の一つとしたと言う。(住吉、神明、高志王)
祭神は、天日鷲命、市杵島姫命である。
秋葉神社は、明和六年(1769)三月、遠州秋葉山より、津川町に再三の火災があるので町を守るために、祭神軻遇突智命の神体を奉遷し、町内三組に奉祀したが後に神をけがし傷つけることをおそれ、住吉、神明と本社を合祀した。津川町中町に社殿を建立し、六月二十二日を祭日としていたが、合祀して二柱神社と改称した。
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名称 | 新善光寺 |
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電話番号 | 0254-92-3041 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
詳細情報
宗旨・宗派 | 浄土宗 |
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ご由緒 | 『浄土宗鎮西派知恩院の末寺で仏光山称応院という。建久元年(1190)尾張の沙門定尊が蒲原郡小川庄西村に七堂伽藍を創立し開山した。その後、津川城主金上祐道の時の貞治元年(1362)相州鎌倉光明寺の僧唱名上人の弟子の感誓が来て、民長鵜川丹羽・犬飼外記・五ノ井大善・村蔵等と力を合わせて現在地に移した。 旧地(津川沢)にあった時、芦名盛高が本寺を尊信し津川城主金上祐道は本寺に大川、角島、塩野沢、大戸瀬百貫文の地を寄付した。しかし、享保二年(1717)御小屋館主吉見氏に四か村の寺領を奪われ、豊臣検地に全て没収され、新たに六十二石の土地を与えられた。 明治戊辰の役の時、桑名藩主松平定敬(会津藩主松平容保の弟)が柏崎から退いて本寺に約二か月本営として宿営している。 本寺七世の住職岌州上人は知恩院住職となった高僧もみえる。浄土宗の中での寺格も高く、末寺は郡内五か寺郡外四か寺がある。 境内に、福海観音堂があり、戊辰戦で琴平山で戦死した寄合白虎隊士藤森八太郎が埋葬されている。庫裡は平成十一年に建て替えられた』 |
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