いぎみじんじゃ
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楽しみ方五十君神社のお参りの記録一覧

昨日はハク&タケさん投稿の風巻神社さんにお参りに行くべくカブを走行して行くと、すぐ手前に木の鳥居⛩️が素敵な五十君神社さんと出会いお参りさせて頂きました。
古社であり素敵😍な神社でしたが、今年の新潟の水不足で、鳥居周りの植物は枯れかけて、参道の苔も干からびだしていましたのが可哀想でした。
神社宝物の木造狛犬(室町時代)、金銅虚空蔵菩薩懸仏(鎌倉時代)、銅造十一面観音立像(室町時代)の紹介立看板がありましたが、拝見したかったです。
こちらに来る前には、信濃町の焼きとうもろこし🌽を頂きました。
甘くてジューシーで、さすが有名な信濃町の焼き🌽でした。😋
当社は延喜式内神社にして越後国頸城郡式内社十三座の一なり、祭神高志池君祖五十日帯日子命(大日本史神祇志蓋記)は十一代垂仁天皇の第五皇子にして、御家臣大賀、不尽の二臣を供丈し、池溝開領のため、御巡国あらせられた越後国頸城郡高志八岐村に於いて崩御あらせられた。依って大賀不尽の二臣と五十日帯日子命の神霊を奉寿せり。
祭神の五十日帶日子命は大賀・不盡の二臣を従へ て越後国に下り、池溝開発にあたつたが、頸城郡高志八岐 村(今日の所山田)で崩御された。そこで大賀・不盡の二臣 はこの地にとどまり、命の神霊を奉祀した。十二代景行天 皇の御宇に一社を建立し、五十王神社と称した。神亀三年 (七二六)、勅命により五十君神社と改めたといふ。『越後頸 城郡誌稿』には大宝三年(七〇三)三月三日勧請とある。 『神社明細帳』によると、弘仁四年(八一三)七月に神位を 授かり、建仁二年(一二〇二)二月に正三位を賜はつてゐる。

社号標


参道
干からびた植物

参道

木造の素敵な鳥居⛩️

参道

参道
新潟の干ばつで苔も干からび出していた。

参道

手水舎

参道

境内の御神木

由緒

宝物

宝物

宝物

拝殿

拝殿内

拝殿斜めから

本殿

本殿の彫刻

祠郡

祠郡

一つの祠だけ古い石灯籠がありましたが、何の摂社かわからず

信濃町の焼きとうもろこし🌽

朝取りの焼きとうもろこし🌽
とても甘くてジューシーで美味しい😋
新潟県のおすすめ3選❄️
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