あんぜんじ|天台宗|金峯山
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十月十ハ日 西蔵王に座します 天台宗 金峯山 清観院 安禅寺様 本堂の阿弥陀如来と毘沙門堂の御開帳+マルシェに参拝させていただきました!
本堂の阿弥陀さま(2、3年ぶり)毘沙門堂 毘沙門天、蔵王権現、不動明王、数々の仏様と久しぶりに会えました😊 マルシェの開催でしたので、色々お店がありまして‥毘沙門堂前のお店の看板猫ちゃんがナデナデしても怒らない子で😍(店の紹介しろよ💧)
マルシェの日は本堂でイベントがあるので、「特別に」阿弥陀さまの御開帳でした(阿弥陀さまも見れるとは、知らんかった)
仏の導きに感謝🙏😭
※阿弥陀如来さまの写真は許可を得ております 「この安禅寺と、その歴史を知ってほしい、その目で見てほしい」 この言葉が、この投稿をする理由です
※これは「私の想い」ですが、現在安禅寺に住職様がいる時間は一年間に数時間かもしれません 常に住職様がいらっしゃるようになってほしいと願います
もちろん、「ここだけの話ではない」のは、承知しております

毘沙門堂 御開帳

毘沙門堂

毘沙門天さま(平安時代)
蔵王権現、お不動さま(鎌倉時代)
数々の仏さまにお会いできるステキな日😄


観音堂

観音堂本尊 十一面観音
こちらも御開帳です

毘沙門堂前 色々お店ありました コスプレの方もいらっしゃいました

堀直寄公
蔵王堂城の城主 長岡の礎を作った方です また、豊臣秀吉、徳川家康に仕えた名武将です

安禅寺本堂へ


本堂 安禅寺の御本尊 阿弥陀如来さまの御開帳です🙏

本堂内のお店

会長 元気です!

本堂内では べすとふれんず の方々が生演奏されていました ジュピターが流れ、頭の中に長岡花火が‥






素晴らしい演奏 ありがとうございました😭

本日は本堂御本尊 阿弥陀如来さまも御開帳です😄
屏風は安禅寺住職 千春さまの書いたものです


奥の写真が、安禅寺住職の千春さま

こちらの方、名が判明してません

安禅寺本尊 阿弥陀如来
平安時代の作、江戸時代にお顔を補修してるそうです
何も隔つものもなく、目の前で仏様を感じることができる そんな日は中々ありません

御朱印 阿弥陀さま

御朱印 御開帳

御城印 蔵王堂城

人々と共に、長い時を過ごしてきた仏さま達 今も ここに座します
その歴史と共に‥


七月十三日 蔵王堂城跡に座します、堀直寄公の縁の寺 天台宗 金峰山 静観院 安禅寺様の毘沙門堂の御開帳に参拝させていただきました!
安禅寺 もとは蔵王堂でした
福島県会津若松市 旧金峯山 平等寺の伝承に、大和蔵王堂、会津、長岡が日本三所の蔵王とあります
明治に廃寺になりましたが、三芳野千春住職により復興しました
蔵王大権現、堀直寄公、妙徳院さまと、歴史の深いお寺さまです
※掛け軸などの写真は、「蔵王堂城史跡を守る会」の方々に許可を得ています※
歴史を知っていただきたい、実際に見て感じてもらいたい との想いで許可を得ています
もちろん、写真はほんの一部です
また、この日も守る会の方々が境内の整備、御開帳の対応をされていました
本来なら然るべき所に保管される、貴重な歴史の遺産を見させていただき、ありがとうございました!

毘沙門堂の内陣 貴重な秘仏に掛け軸も見れました

御開帳御朱印
他にも色々あります

毘沙門堂 本尊 毘沙門天(家族で)
両脇に蔵王大権現が座しています

こちら本堂 阿弥陀さまが座しますが、基本入れません! 特別な日か、ボランティアとして掃除の時だけ入れます(阿弥陀さま、過去一度参らせていただきました)

午前中に参拝!

「蔵王堂城史跡を守る会」の会長様も参拝の方々に掛け軸などの説明をしております

内陣では県外から、応援として僧侶+仏像修復師の方がいらっしゃっていました 安禅寺の歴史、仏様、掛け軸などのスペシャリストです! 私も分からないコト聞きます💦

気さくに教えていただけますよ

もちろん僧侶として、お経を上げていただいております

内陣で護摩祈祷をする所

御開帳掛け軸
徳川と関係を結ぶといただける掛け軸、と教えていただきました
徳川と繋がりがある証拠です
掛け軸は御開帳の時以外見れません
通常は保存に適した所に保管されているかと思います

御開帳掛け軸 曼荼羅
こちらも関係がある証拠です



堀直寄
豊臣秀吉、徳川家康に仕え、大阪夏の陣では功績を上げる 頭のキレる武将さま! そして長岡の基盤を作った方(その後は牧野家 蒼紫神社の御祭神の家系が継ぎます)
父親の堀 直政は織田信長に仕えてました

本堂裏手にあります 安禅寺住職、三芳野千春様のお墓です(真ん中)安禅寺を復興された方で、この方のおかげで今現在、歴史が残っています

千春住職様
金峯神社初代神官のようです その後安禅寺復興のため住職に


正善霊神社 妙徳院さまの碑です

妙徳院 栖吉城主の娘として生まれました(栖吉城跡 蒼紫神社よりさらに東の方にあります) 御館の乱で父親の死後はお寺などに身を寄せいたところ、堀直寄と出会います
直寄公の勧めで、江戸幕府 二代将軍 徳川秀忠公の側室になります
将軍との間に子を授かり和子(まさこ)と名付けられ、正室の子として育てられたそうです(後水尾天皇の妃になり、その子供は明正天皇になりました)
秀忠公の死後、天海僧正の手により髪を切り尼になり、長岡に戻り暮らしたそうです その時に幕府から化粧代として三百石など、通常ではあり得ない特別な配慮がありました

観音堂

天井画

八方にらみの虎 などが描かれています





安禅寺 毘沙門堂内陣
秘仏 毘沙門天、蔵王大権現、不動明王など仏様が今も座されています

金剛蔵王大権現 その歴史と共に、今もこの地に‥
授与品
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境内・文化財をもっと見る|歴史
『蔵王権現堂の別当寺、修験堂の本山であった当寺は、道昭上人の開山により、和銅二年(709)大和国吉野蔵王権現を模刻して古志郡楡原に勧請したが、保元の乱の戦災をうけて三島郡矢田を経て仁治年間(1242)現在地に遷座されたと伝えられている。中興の祖であった義道大僧正の入寂、宝永七年(1710)以後東叡山輪王寺宮の御兼帯となり、教儀は信徒に任かせられ長く別当の職は中絶していた。
安政二年(1855)慈性法親王の命によって安住院亮貫は、浅草寺より安禅寺別当に転住した。戊辰の役の戦火で寺は灰爐に帰し、明治三年(1870)神仏分離によって廃寺となり、蔵王権現堂を守るためには還俗して三芳野千春と称し金峯神社の社司にならざるを得なかった。その後寺再興の志黙し難く、神官を辞して比叡山に入り修行に専心した。明治十七年(1884)になって寺の復興を許可され、今日に至っている。』
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| 名称 | 安禅寺 |
|---|---|
| 読み方 | あんぜんじ |
| トイレ | あり |
| 御朱印 | あり |
| 限定御朱印 | なし |
| 電話番号 | 0258-32-7664 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
詳細情報
| ご本尊 | 毘沙門堂 本尊 毘沙門天 観音堂 十一面観音 |
|---|---|
| 山号 | 金峯山 |
| 院号 | 静観院 |
| 宗旨・宗派 | 天台宗 |
| 創建時代 | 和銅元年 708年 |
| ご由緒 | 『蔵王権現堂の別当寺、修験堂の本山であった当寺は、道昭上人の開山により、和銅二年(709)大和国吉野蔵王権現を模刻して古志郡楡原に勧請したが、保元の乱の戦災をうけて三島郡矢田を経て仁治年間(1242)現在地に遷座されたと伝えられている。中興の祖であった義道大僧正の入寂、宝永七年(1710)以後東叡山輪王寺宮の御兼帯となり、教儀は信徒に任かせられ長く別当の職は中絶していた。 安政二年(1855)慈性法親王の命によって安住院亮貫は、浅草寺より安禅寺別当に転住した。戊辰の役の戦火で寺は灰爐に帰し、明治三年(1870)神仏分離によって廃寺となり、蔵王権現堂を守るためには還俗して三芳野千春と称し金峯神社の社司にならざるを得なかった。その後寺再興の志黙し難く、神官を辞して比叡山に入り修行に専心した。明治十七年(1884)になって寺の復興を許可され、今日に至っている。』 |
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