おとごじんじゃ
乙子神社のお参りの記録一覧
新潟遠征、沼垂白山神社の駐車場に停めたまま、向かいの乙子神社扁額参拝。境内の桜が満開!前回参拝時はお声掛けはしなかったのですが、今回は神社裏手の宮司様宅へ行き、ご丁寧な御朱印を書き入れて頂きました。
鳥居と社号標
拝殿
扁額
道を挟み、沼垂白山神社の前にある小さな神社である。
乙子〈おとご・おとこ〉神社は,沼垂白山神社の向かいに鎮座する旧村社である。社地は西向き。 「神社明細帳」(明治十六年)に「中蒲原郡沼垂町村 村社・乙子神社」とある。 應安元年(1368),海難を鎮めるために創建したと伝える古社である。祭神は建諸隅命(タケモロズミ)で,相殿で天穂日命(アメノホヒ)を祭る。 主祭神の建諸隅命は,越後国一の宮として有名な弥彦神社の祭神・天香山命(アメノカゴヤマ)の後嗣の神であり,弥彦神社の境内に廟(乙子神社御神廟)と社殿(乙子神社)が祭られている。 当社は弥彦に鎮座する乙子神社を勧請したのであろうか。もと沼垂白山神社の境内に祭られていたともいい,両社の関係は深い。かつて白山神社でもめ事があり,乙子神社の神職が白山神社の管理にも当たったという。
最近他のユーザーさんから、あんまり姿を見てないねと言われましたのでそろそろ自分のお参り記録を更新していかないと!
休み中には初めて新潟に行きましたー
乙子神社は、沼垂(ぬったり)町である神社。広い通りの一本隣の小さい道を通って、沼垂商店街から徒歩10分。
反対側の白山神社と比べると、こじんまりとして、妹感が溢れるの可愛神社です。白い狛犬も丸ぽい感じて撫で撫でしたい(ダメですが)
ネットで昔の写真を調べてみたら、やはり狛犬は新しく作られたものです。
参道の両側では、松の木を植えられています。
昔拝殿はの左は天王宮の額がかがっている祠があり、今はないですね。右側も末社があります。
拝殿内部の絵画に興味深く、説明があればいいなあと思いました。
歴史を見ると沼垂町は川の侵食のため、4回も場所を遷移していた。新潟町より港としての役割を担いましたが、江戸時代は全ての審判で有利な裁判をもらえなく、港の機能がどんどんなくなったのです。新潟町を通過する船も全て関税を払わなければならなくなった歴史もあります。ますますこの場所を可愛がってきたね。
有名な物産は沼垂ビール、沼垂ネコ焼きなどなど(o^^o)
神社とお寺もたくさん並んでいるところです。
狛犬は新しい作られたかなあ。
拝殿の絵画を知りたい…
#乙子神社
ご祭神はタケモロズミの命。
#建諸隅命
先代旧事本紀でも建諸隅命。
境内の看板によれば、彌彦大神の7世の子。周辺の原野を開拓し、人々に農業・漁業・商工業などを教えたと。
彌彦大神とは、彌彦神社(新潟県西蒲原郡弥彦村)のご祭神、アメノカゴヤマの命のこと。あちらにも乙子神社という摂社があり、同様にタケモロズミの命を祀る。
あちらのHPによれば、アメノカゴヤマの命を1代目とした時、7代目にあたる子孫。非常に親孝行で、父タケタセの命が重病を患った時、自分の命と引き換えでもいいから父を助けてほしいと祈ったところ、親を思う姿にオオモノヌシの大神が感心し、父子ともに救ったと。また彌彦神社の社殿や祭祀を整えたのは彼で、第10代・崇神天皇の勅命によるとある。
先代旧事本紀によれば、彼の妹・オオアマヒメの命は崇神天皇の妃。古事記によれば、彼女と崇神天皇の子に、オオイリキの命とヌナキノイリビメの命がいる。タケモロズミの命から見ると甥と姪だ。この兄妹はどうやら能登(石川県北部)へ下向したらしく、能登部神社および能登比咩神社(共に鹿島郡中能登町)で祀られている。オオイリキの命については、古事記にも”能登のおみ”という氏族の祖神とある。
僕の想像だが、母が越後の人なので、同じ北陸の能登には元から地盤があったのだろうか。
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