しょうりんじ|単立|霊園山
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桜井駅から遠く離れててもシェアバイクにて到着。
本当公共交通機関組には頼もしい相方です。
ただ駅から少し遠い場所にて決められた場所に返すというのは、この寒い日少し不便でした。
それからアプリでは充電が満タンだったのですが実車を見ると少なめ、なのでエコモードで坂道を登ってきたのでやや疲れました。
本堂には大きめなお地蔵様。何もかも包み込むふんわりした心地よい空間が堂内に溢れてます。
本命の十一面観音様は静かにお立ちでした。
尊い姿でプロポーションからお顔まで素晴らしい。近くで見ても永遠の一瞬を体現しておられました。
国宝でもあられる観音様にこんなに近くでお詣りできるのは本当にありがたいです。
ただひとりぼっちで完全なる空間に佇んでられるのには、少し寂しそうでした
奈良の地にはまだまだ未見の仏様がいらっしゃいます。時間の許す限り訪れたいですね。
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談山神社に向かう道すがら、「国宝の十一面観音」の看板が目に留まり立ち寄らせていただきました。 霊園山・聖林寺~和銅5年(712年)に妙楽寺(現在の談山神社)の別院・遍照院として藤原定慧(中臣鎌足の長子)が創建したとされます。 平安時代末期には妙楽寺と興福寺の抗争によって興福寺側に焼き討ちされ伽藍は焼失しますが、鎌倉時代に復興、江戸時代中期には大神神社の神宮寺の一つ、平等寺の僧侶・玄心律師によって再興したといわれます(この頃、妙楽寺の子暁大僧正によって聖林寺と改称)。 以後、真言宗の平等寺との交流が深まり、天台宗の妙楽寺の別院でありながら真言宗の律院となったとのこと。 その繋がりからか、明治時代の神仏分離令による廃仏毀釈の際、その難を逃れる為、同じく大神神社の神宮寺・大御輪寺の本尊であった十一面観音立像が当寺に移管されたといいます。 元のまま大御輪寺に残されていたら像は廃棄させられていたかもしれません。 聖林寺にて大切に保管されていた十一面観音立像は明治20年、アメリカの哲学者アーネスト・フェノロサ、岡倉天心らによって開扉され、その美術的価値で国宝として指定されました。今回は残念ながら収蔵庫である観音堂が免震工事の改修中の為、「国宝の十一面観音」は見ることができませんでした。 フェロノサが称賛したとする、天平の傑作、見たかったです。
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