曹洞宗
慶田寺のお参りの記録一覧
曹洞宗のお寺で山号は三輪山。織田信長の末弟・織田源五郎長益ゆかりのお寺です、正門は芝の織田藩一万石の惣門で明治4年(1871年)廃藩置県で当寺に移築されたものです。
京都南部&奈良の寺院巡りの5寺目は、4寺目の京都府京田辺市から南へ下って奈良県奈良市を抜けて桜井市に在る三輪山 慶田寺(けいでんじ)です。
曹洞宗で、本尊は十一面観音。
この本尊の他にもう1躯の十一面観音が安置されており市指定文化財です。
観光寺院ではありませんので、拝観には事前予約が必要です。
1470年に海門興徳和尚が創建。本尊は長谷寺の十一面観音と同木で作られたと伝わります。
織田信長の弟の織田長益が徳川家康から領地を与えられた後に芝村藩となり、織田家の菩提寺となった。山門は1874年に芝村藩織田家陣屋の大手門を移築したものです。
卑弥呼の墓ではないかと云われる箸墓古墳の少し南にあります。寺院の東側の10台程度の駐車場に停めました。東門がありますがいつも通りに山門から。山門をくぐると正面に本堂、右側に鐘楼、左側から墓地へ行けて織田家墓所があります。境内は綺麗に整えられていました。
本堂横の庫裏へ行って拝観予約した者と告げるとご住職の奥様?が上がってくれと。廊下を進んで先ず本堂へ、須弥壇の本尊·十一面観音に手を合わせましたが、下陣からでしたし、幕が掛かって見辛かったです。(寺院案内の写真で良しとします)
それから本堂の裏手の納骨堂に案内頂きました。ここにもう1躯の十一面観音立像、阿弥陀如来坐像が安置されています。これらの仏像は近隣にあった広読寺の廃寺に伴い遷されました。十一面観音は高さ約203cm、平安時代の作、間近から観させて頂けます。やけにほっそりした像だなあと思って観ていたら、どうも元は木心乾湿造(代表例は桜井市·聖林寺、京田辺市·観音寺の十一面観音)の仏像であったが、後世の修理の際に漆を剥がしたり、板を打ち付けたりと改変してあったものを1972年に修復したそうです。お顔の表情がとてもいいですね。
阿弥陀如来坐像は高さ約138cm、鎌倉時代の作、優しい感じのお像です。
拝観料は(いつも悩ませられる)志納、御朱印は書置きでしたが裏に糊が塗られてあってアイロンで御朱印帳に貼り付けるタイプ。このタイプは初めて。どうするか考えた末にこのタイプにしたとの事です。アイロンで御朱印帳に貼り付けてみましたが全然OK。糊を塗る手間が省けました。
御朱印
山門
鐘楼
本堂
庫裏と本堂
織田家墓所
東門(駐車場側)
本尊·十一面観音(寺院案内を撮影)
十一面観音(市指定文化財)
(寺院案内を撮影)
十一面観音(ネットから転載)
十一面観音お顔(ネットから転載)
阿弥陀如来(寺院案内を撮影)
阿弥陀如来(ネットから転載)
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