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與喜天満神社ではいただけません
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與喜天満神社のお参りの記録(1回目)
投稿日:2024年06月28日(金)
参拝:2024年6月吉日
玉鬘神社の境内を囲む金網に方向が記されていました。
少し與喜山を登ります。
急に視界が開け 立派な社殿と社務所が現れます。
境内からは 山道とは違って石段が下に続いています。
あとで分かったのですが 長谷寺の門前にあるお土産屋さんのある集落に続いていました。
御祭神は菅原道真・天照大神・大倉姫神です。
菅原道真公のご先祖・野見宿禰は ここ初瀬の出雲のご出身で 初めは土師氏と称しました。
道真公にとって初瀬は遠祖からのふるさとなのです。
由緒については
初瀬の里に神殿太夫武麿という修行を積んだ高徳の人がいました。
天慶9年(946年)の9月18日の明け方 武麿は高貴な老人の夢を見ました。
2日後の9月20日 ふしぎなことにこの武麿の自宅の前の石の上に高貴な翁が座っていました(現在の切石御旅所の地)。
翁が長谷寺へ参詣に向かうと武麿もついて行きました。
翁は川で禊ぎを(現在の中の橋詰め御旅所の地)された後 十一面観音を参り 瀧蔵権現に参ると 急に黒雲が湧いてきてその翁を包みました。
すると 翁は立派な衣冠装束姿となり「私は右大臣正二位天満神社菅原道真」と名乗り 「私はこの良き山に神となって鎮座しよう。」と語って 言葉の通り神鎮まりました。
これが與喜天満神社のはじまりです。
與喜という神社号は 瀧蔵権現が道真公の神霊に「良き地」だとおっしゃったことから起こりました。
「吉のお宮」と呼ばれるゆえんです。
天暦2年(948年)7月 武麿は神殿を建立しました。
これが與喜天満神社の創祀です。
とありました。
少し與喜山を登ります。
急に視界が開け 立派な社殿と社務所が現れます。
境内からは 山道とは違って石段が下に続いています。
あとで分かったのですが 長谷寺の門前にあるお土産屋さんのある集落に続いていました。
御祭神は菅原道真・天照大神・大倉姫神です。
菅原道真公のご先祖・野見宿禰は ここ初瀬の出雲のご出身で 初めは土師氏と称しました。
道真公にとって初瀬は遠祖からのふるさとなのです。
由緒については
初瀬の里に神殿太夫武麿という修行を積んだ高徳の人がいました。
天慶9年(946年)の9月18日の明け方 武麿は高貴な老人の夢を見ました。
2日後の9月20日 ふしぎなことにこの武麿の自宅の前の石の上に高貴な翁が座っていました(現在の切石御旅所の地)。
翁が長谷寺へ参詣に向かうと武麿もついて行きました。
翁は川で禊ぎを(現在の中の橋詰め御旅所の地)された後 十一面観音を参り 瀧蔵権現に参ると 急に黒雲が湧いてきてその翁を包みました。
すると 翁は立派な衣冠装束姿となり「私は右大臣正二位天満神社菅原道真」と名乗り 「私はこの良き山に神となって鎮座しよう。」と語って 言葉の通り神鎮まりました。
これが與喜天満神社のはじまりです。
與喜という神社号は 瀧蔵権現が道真公の神霊に「良き地」だとおっしゃったことから起こりました。
「吉のお宮」と呼ばれるゆえんです。
天暦2年(948年)7月 武麿は神殿を建立しました。
これが與喜天満神社の創祀です。
とありました。
山道への誘導
これがないと分かりません
石柱
まあまあな山道
境内から下に続く石段 この先はお土産屋さんのある集落です
手水舎
神輿庫
掲示板
社務所
拝所
由緒書
拝所
本殿
後で見つけました 参道のはじまり
これが一の鳥居でしょう
すてき
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