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長谷山口坐神社ではいただけません
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はせやまぐちにいますじんじゃ

長谷山口坐神社
奈良県 長谷寺駅

御朱印について御朱印
-
パーキング
駐車場
あり

有料駐車場あり

その他の巡礼の情報

大和国山口社六社
元伊勢(伊豆加志本宮)

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神祇伯
神祇伯
2025年01月17日(金)
1510投稿

大和国城上郡の式内社です。大和国には「○○山坐神社」という名前の神社がいくつかありますが、これらはそれぞれが朝廷の御領地だった山の守護神として建てられたものであり、当社も長谷寺などが立つ長谷(初瀬)山の神様として祀られています。

長谷山口坐神社(奈良県)

《橋と社号碑》
奥に鳥居が見えます。

長谷山口坐神社(奈良県)

《元伊勢の石碑》
当地には豊鍬入姫命さまが天照大神さまの鎮座地を探して留まっていた「伊豆加志本宮」の比定地になっています。

長谷山口坐神社(奈良県)

《由緒書き》
式内社にて○○山(坐)神社と見えるのは長谷、忍坂、飛鳥、畝火、夜支布、伊古麻、巨勢、鴨、当麻、大坂、吉野、石寸、耳成、都祁の十四社で、そのうち長谷、畝火、飛鳥、忍坂、石寸とその論社の高田の六社は「大和六所山口神社」と呼ばれていました。

長谷山口坐神社(奈良県)

《水神のお塚》
大和川のそばに鎮座しているので、その神様として祀られているのでしょう。

長谷山口坐神社(奈良県)

《表参道》
小高い丘になっています。

長谷山口坐神社(奈良県)

《神輿庫?》
普段は無人のようです。

長谷山口坐神社(奈良県)

《手水舎》
水は枯れています。

長谷山口坐神社(奈良県)

《拝殿》🙏
👁チェックポイント‼️
当社は別名に「テジカラさん」と呼ばれているらしいです。これは伊豆加志本宮が祀られていた伝承から天手力雄神さまを合祀したことに由来するようです。
現在元伊勢の比定地としては與喜天満神社や長谷寺が挙げられますが、それよりも前から当社は鎮座しており、神様のいる神聖な土地としての歴史を繋いでいます。
また第21代雄略天皇さまや25代武烈天皇さまの営んでいた宮に初瀬の異体字である「泊瀬」の名を冠していたことからこの地との関連が見られます。

長谷山口坐神社(奈良県)

《本殿》
春日造です。

長谷山口坐神社(奈良県)

《境内の幟》
「参道周遊謎解きラリー」…!?どういったチェックポイントがあるのでしょうか。

長谷山口坐神社(奈良県)

《参道の入り口》
長谷寺へ向かう門前町の途中にあります。幟があるのが目印ですが、駐車場などは近くにないので上の方で停めてから来るのが最適でしょう。

長谷山口坐神社(奈良県)

《遥拝所》
参道入り口そばにあります。長谷寺に用事のある人や、その道中の人たちのためのものでしょうか。長谷寺の地主神だったはずなので、現在もその崇敬を大事にしていることが窺えます。

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歴史

 初瀬川の南岸上に北面して鎮座する旧指定村社。延喜式の式内大社で大山祇神を主神とする大和六山口社の一つです。後に手力雄神を配祀しました。桜井市史には「ここは室町時代からいまに「テジカラさん」と言って親しまれているが、それは伊勢信仰を借り、長谷の山口に位置した山口神と、天照大神を天岩戸から引き出した天手力男神を結合させたためにおこった俗称である。」とあります。
 「当神社は長谷山の鎮の神として太古より大山祇神を祀っている。垂仁天皇の御代倭姫命を御杖として、この地域の「磯城厳樫の本」に約8年間天照大神をおまつりになった時随神としてこの地に手力雄神をまた北の山の中腹に豊秋津姫命を祀る二社を鎮座せられた。長谷寺縁起やその他の古文書によるとこの地方は三神の里初瀬川は神河表参道の朱塗りの橋は神河橋と書かれている。
  長谷寺験記の冒頭には長谷寺開山の時の手力雄神の霊現と功徳が述べられている。 聖武天皇の天平2年(730)の大和大税帳には長谷山口の名が見え、当神社の古いことを物語っている。延喜式内社である。清和天皇の御代貞観元年(860)9月8日に風雨祈願の奉幣使が当神社に参拝されている。中世には天力雄明神を敬う明神講が生まれ明神信仰は今に続いている。[桜井市観光協会HPより]

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名称長谷山口坐神社
読み方はせやまぐちにいますじんじゃ
通称テジカラさん
参拝時間

参拝自由

参拝にかかる時間

約10分

参拝料

なし

トイレなし

詳細情報

ご祭神《主祭神》
 大山祇大神
 天手力雄神
《合祀神》 
 豊受姫命
ご神体長谷山?
創建時代不詳
創始者不詳
本殿春日造
ご由緒

 初瀬川の南岸上に北面して鎮座する旧指定村社。延喜式の式内大社で大山祇神を主神とする大和六山口社の一つです。後に手力雄神を配祀しました。桜井市史には「ここは室町時代からいまに「テジカラさん」と言って親しまれているが、それは伊勢信仰を借り、長谷の山口に位置した山口神と、天照大神を天岩戸から引き出した天手力男神を結合させたためにおこった俗称である。」とあります。
 「当神社は長谷山の鎮の神として太古より大山祇神を祀っている。垂仁天皇の御代倭姫命を御杖として、この地域の「磯城厳樫の本」に約8年間天照大神をおまつりになった時随神としてこの地に手力雄神をまた北の山の中腹に豊秋津姫命を祀る二社を鎮座せられた。長谷寺縁起やその他の古文書によるとこの地方は三神の里初瀬川は神河表参道の朱塗りの橋は神河橋と書かれている。
  長谷寺験記の冒頭には長谷寺開山の時の手力雄神の霊現と功徳が述べられている。 聖武天皇の天平2年(730)の大和大税帳には長谷山口の名が見え、当神社の古いことを物語っている。延喜式内社である。清和天皇の御代貞観元年(860)9月8日に風雨祈願の奉幣使が当神社に参拝されている。中世には天力雄明神を敬う明神講が生まれ明神信仰は今に続いている。[桜井市観光協会HPより]

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