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大峯山寺ではいただけません
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大峯山寺のお参りの記録(1回目)
投稿日:2023年09月04日(月)
参拝:2023年9月吉日
大峰山山上ヶ岳、1719m。大峯大橋の登山口から登り約3時間。(下り2時間)往復10kmの道のり。
女人禁制の山で大峯大橋を渡った先にある女人結界門から奥は女性の立ち入りが禁止されている。
山頂付近に7世紀後半、役小角が開いたとされる大峯山寺の本堂が建つ。5月3日の戸開式から9月23日の戸閉式までの間参拝が可能である。
平安時代初期に衰退したが、9世紀末に聖宝(理源大師)によって再興された。
戦国時代には一向宗と争い山上の本堂などを焼失するが、江戸時代になって再建されている。
現在の本堂は1691年の再建で重文指定されている。
山上の蔵王堂(本堂)に参拝が困難であるとして創建された吉野山の金峯山寺本堂(蔵王堂)を「山下(さんげ)の蔵王堂」というの対し、大峯山寺本堂は「山上の蔵王堂」と称される。
大峯山寺と金峯山寺は20キロ以上離れているが元々は修験道のひとつの寺院であった。
道中100人近い修験者や講の参拝者とすれ違った。
これだけ多くの参拝者がいるからか、登山道はかなり整備されており、傾斜もそれほど大きくなく歩きやすい。
途中途中に茶屋(休憩所)も設けられている。
しかし、山頂の手前にはさすが修験道の山。「油こぼし」「鐘掛岩」「西の覗き」の行場(鎖場)がある。
西の覗きは絶壁から頭を下にして吊るされ、問いかけに「はい」と答えない限り引き上げてもらえないという修行が行われる。
女人禁制の山で大峯大橋を渡った先にある女人結界門から奥は女性の立ち入りが禁止されている。
山頂付近に7世紀後半、役小角が開いたとされる大峯山寺の本堂が建つ。5月3日の戸開式から9月23日の戸閉式までの間参拝が可能である。
平安時代初期に衰退したが、9世紀末に聖宝(理源大師)によって再興された。
戦国時代には一向宗と争い山上の本堂などを焼失するが、江戸時代になって再建されている。
現在の本堂は1691年の再建で重文指定されている。
山上の蔵王堂(本堂)に参拝が困難であるとして創建された吉野山の金峯山寺本堂(蔵王堂)を「山下(さんげ)の蔵王堂」というの対し、大峯山寺本堂は「山上の蔵王堂」と称される。
大峯山寺と金峯山寺は20キロ以上離れているが元々は修験道のひとつの寺院であった。
道中100人近い修験者や講の参拝者とすれ違った。
これだけ多くの参拝者がいるからか、登山道はかなり整備されており、傾斜もそれほど大きくなく歩きやすい。
途中途中に茶屋(休憩所)も設けられている。
しかし、山頂の手前にはさすが修験道の山。「油こぼし」「鐘掛岩」「西の覗き」の行場(鎖場)がある。
西の覗きは絶壁から頭を下にして吊るされ、問いかけに「はい」と答えない限り引き上げてもらえないという修行が行われる。
大峯大橋
山門
女人結界門
一本松茶屋
お助け水
洞辻茶屋
だらすけ茶屋
だらすけ茶屋
だらすけ茶屋
油こぼし
小鐘掛
鐘掛岩
お亀石
等覚門
等覚門
宿坊・本堂の屋根が見えてくる
鷹の巣岩
1844円まで西の覗きの行はここで行われていた。
修行中に落ちる人が続出したために今の場所に行場が移された。
1844円まで西の覗きの行はここで行われていた。
修行中に落ちる人が続出したために今の場所に行場が移された。
西の覗き
西の覗き
ここから吊るされる
ここから吊るされる
西の覗き
妙覚門
妙覚門
本堂
本堂
本堂
本堂
本堂
山頂お花畑
遥拝所
母公堂
役小角の母親・白専女(しらとうめ)を祀る
役小角の母親・白専女(しらとうめ)を祀る
母公堂
すてき
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タンホイザ3606投稿
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