にょいりんじ|浄土宗|塔尾山
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専横の北条幕府を倒し、建武中興を成し遂げた後醍醐天皇は、足利氏との争いのため京都を逃れ、吉野山へ行幸以来四年間、吉野の行宮に過ごされました。延元四年(1239)病床に就かれ「身は仮へ南山の苔に埋まるとも魂魄は常に北闕(京都)の天を望まん」と都にあこがれ、遂に崩御されました。天皇の遺骸をそのまま北向きに葬ったのが、塔尾陵です。
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